どの立場で、どんなことを踏まえて、経て、それを言っているのか——ってことがすごく大事なんだなって実感することはたくさんある。意見は分かるけどその立場から言うのは…なんて思うこともある。でも、自己開示がセットでない語りは信用できない、という言葉にもまた傷つく。

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RT @_keroko
私生活の開陳を他人に迫るな。「私の方が不幸だから私の方が意見を述べる権利があるし、また正しい」という不幸のチキンレース上にフェミニズムがあるとしたら、それは果てしなくみんなまとめてのデスロードでしかありませんぜ。でもフェミニズム、その失敗をよくし勝ちなんですよね。
twitter.com/_keroko/status/161

自分のこと振り返ると、この場所で「あなたはなんで風俗嬢になったんですか?」にぶつかることは多かった。それを言ってくれなきゃ判断できないよ、と求められることもあれば、それを説明できないのなら何か言っても受け取りようがないし、しょうがないのでは?と自分に対して思うこともよくあった。

当事者が自分の考えを表すならその背景事情を すべて/求めに応じて 開示しなければ 不誠実/信憑性に欠ける/語りとして価値がない とは思わない。でも、これってこの背景踏まえての話だよなあって思うことも確かにある。結局、その時その時によって違う。

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じゃあ自分はどうするべきだったか?という答えは結局今もないです。引用させていただいたツイート見てからまたしばらく考えてたけど、結局わからない。前提が「その話はここではしたくない」なのも動かない。ただTwitterにいるとこのモヤモヤが貼り付いてしまう機会は多く、それは疲れたなって思う。

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