県民への蔑視が加害に - 琉球新報デジタル ryukyushimpo.jp/news/national/

“1944年夏、沖縄に日本軍が中国戦線などから続々とやってきた。日本の敗北が決定的となったサイパン陥落で、沖縄での戦闘に備えるためだった。沖縄本島中部の宜野湾村(当時)には、中国北部での活動や大陸を縦断する「大陸打通作戦」に従事した第62師団などが配備された。62師団の中に三重県出身の近藤一さん(1920~2021年)もいた。
 近藤さんは、中国で捕虜を突き刺す初年兵訓練を受け、乳飲み子を抱いた母親に日本兵らが次々に性暴力を振るう光景も目にした。兵士らは裸同然の母親を連れ歩き、赤ん坊を谷底に投げ捨て、母親が後を追って身投げするのを笑っていた。”

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“沖縄の人が“友軍”と呼んだ日本軍。しかし、軍は裏腹に住民を蔑視していた。
 62師団は44年9月の「石兵団会報」で「デマ」が多い土地だと注意を呼びかけた。陣地周辺を歩いた住民がスパイ視されたり、射殺されるのを目撃したりした証言も残る。”

“1992年ごろから体験を語り始めた近藤さんは、日本兵が沖縄の人に抱いていた差別意識が、沖縄戦でスパイ容疑での処刑や食料強奪、壕追い出しなど住民への暴力につながったとみていた。
 それでも自らの加害を語るまでには時間がかかった。99年、沖縄県外の高校での講演で、初めて中国で性暴力を振るったことを涙ながらに吐き出した。琉球大学の講演では「権力者が天皇制を利用して戦争を起こし利権を得る。犠牲になるのは庶民だ」と語り、過重な米軍基地の負担に苦しむ沖縄が国によって犠牲にされ続けている構造を、戦争に動員された自らに重ねて問題視していた。”

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