クォイロマ、モノでバイナリーな規範に悔し泣きの話
なんか色んなことが「モノガミー/モノアモリーありきで考えられて、バイナリーなセックス/ジェンダーで判断される」ことにめちゃくちゃ腹が立ってきて、それで散々悲しい思いをしてきたことへの悔しさに接続されている。
性的接触が想定されるから判断を切り分けられるの?
それは私が女、あるいは男であるからなの?
じゃあ私が「女でなかったらよかった」の?私が「男であればよかった」の?
何それ。そんなのわかんないよ、決めつけないでよ。勝手に判断されて、なんでそんなことで関係性を諦めなきゃならなかったの。
私は「恋愛感情」と「友愛感情」の区別がつけられなくて、「恋人付き合い」をしているかしていないかや、性的接触があるかないかで「スペシャルにその存在が好き」は変わったり終わったりなくなったりしないことが多い。
だから特定個人と「恋人付き合い」をしていても、そのものだけが唯一の特別にはならない。性的欲求の有無や性的接触はそのことに関係がない。
だから、「新しい恋人が嫌がるから」って関係を絶たれるとか、法律婚の関係性が最優先※で「友人」は「格下」みたいになるのが本当に悲しい。
全ては個体差の話にはなることだけど。
※お子の場合はその生存のために最優先となることは理解できる
ミヂョ……
周りから見たら「ものすごく仲のいい友人同士」でも、私にとっては「恋人付き合い」しているものとの差や違いはなかった。
そういうことを、法制度とか、生まれた時に割りあてられた性別とか、見た目とか、性的接触とかで切り分けられたくなかった。
これ結構他のものにも伝わるというか、同意を得られることがあるんだけど、「特別な想いを寄せるひと(たち)が“結婚”にとられちゃった」感覚ってないですかね。
ないもんなんかな。
私が「変わって」て「おかしい」としても、私は「そう」なんだからどうしようもない。選んで変更とかできない