〇〇に宗教が当てはめられることは多い。
私自身、帝国主義と植民地主義に政治的に利用された「神道」への忌避感は強かった。
今も「神道」を銘打つ組織が家父長制を讃え、異性愛規範に当てはまらないものたちを差別する主張を流布していることも苦々しい。
でも統一された「教義」があるわけですらない、広義の「神道」そのものがすべて否定されるべきものではないだろう。
地元の祭事に、豊作を祝う行事の、どこからが「政治」で、どこまでが「信仰」なのか、数値化して判断ができるわけでもない。
他の世界的な宗教の時は「その信仰を元に“危険視”するな」と言えたことが、「神道」に関しては言えなかった。
所謂「国家神道」と形成され、しでかしたことが自分にとって大きすぎるからだ。侵略した土地に無理やり立てられた「鳥居」に怒りと嫌悪と反感を抱くからだ。
自分に近すぎて、差別の判断が曖昧となることを自覚しています。
地域や文化のそれぞれの神は、「神道」という名称でまとめられて語られてよい存在なのだろうか。それぞれの名前を持つ、それぞれの神なのではないのだろうか。