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読み始めた。序文を読むと、911後のアメリカと元首相銃撃事件後の日本に類似点があると気付く。原因の考察がテロの肯定と見なされ弾圧されることと、"ナショナル"な『喪』の強制。

画像説明文
机の上に置かれた、ジュディス・バトラー『生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学』

高島鈴さんの布団の中から蜂起せよ、鬱のことについて書かれた文章を読んでいると鬱が酷かった時の感覚がよみがえってきてしんどくなるから、一気読みはできないタイプの本。つまり、めちゃくちゃ共感しながら読めるということ。

世季子 さんがブースト

画像あげるテストを兼ねて、昨日駒場祭でお話しした原稿の一部をあげてみます。うまくいくかな。

映画『テルマ&ルイーズ』からアーメッドさんのフェミニストsnap (ポキンと折れること/ブチっとキレること/パチンと跳ねかえること、など)の話、そして集合的snapをファシリテートする場としてのセイファースペースの話、などをしました。

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性の話 

フォロワー(シスヘテロ男性)が毎日ポルノで自慰行為をしてしまう為パートナーとの性交渉で上手くイクことができないと話をしていて、そういうのがパートナーと付き合う上で重大な問題となる意識はやっぱり分からんなあと思った。そういうのを正直に言うと微妙な雰囲気になるのだが、やっぱりこの社会における愛情の表現は、異性愛規範を含んだ性器結合中心主義の性交渉に結び付きすぎていて変だ。

“革命における共闘とは、思想の共有でも、感情的な結びつきでも、「現場」の共有でもなく、目的の共有である。それぞれの持ち場で自分なりの戦いを続けていくことこそが、革命の正しい手順である。誰かにとっては国会前で自らの要求を叫ぶことが戦いかもしれず、別の誰かにとっては同僚の差別発言を笑って流さずに「それ、差別ですよ」と言う勇気が戦いかとしれないし、また別の誰かにとっては、今日を生き延ばすことそのものが戦いになるだろう。“
(布団の中かは蜂起せよ p.7)

『われらはすでに共にある』そこに書かれている言葉の一つ一つを大切にしたい。抵抗の言葉。存在の証言。多くの人々に伝わってほしい。

トランスジェンダー追悼の日にこういうニュースが流れてくるのはとても辛い

世季子 さんがブースト

コロラドスプリングスでクィア形式上ナイトクラブでのマスシューティング。

nytimes.com/2022/11/20/us/colo

東京の丸善……マジか……

画像説明文・東京駅前の丸善で購入したジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『歴史の眼2 受苦の時間の再モンタージュ』

知り合いのサークルだったので加速主義を取り扱った同人誌を買ったのですが、どうなんですかね加速主義。アフロフューチャリズムやカトリーヌ・マラブー、ゼノフェミニズムに関する論考があって、マジョリティ中心主義に陥ることを避けているように見えるが……🤔

文学フリマ東京で購入したもの。部落解放は栗田隆子さんのサークルで購入しました。
画像のALTがバグ(?)で表示されないので、買った本の書名を併記します。

オタク・アイデンティティズ
オタク・アイデンティティズ2 推しとルッキズム編
反トランス差別ZINE われらはすでに共にある
部落解放 2022年11月号
ぬかるみ派 vol.1 加速主義/vol.2 自己啓発

マストドン、画像の投稿のALT表示されない。バグ? 代わりに何故か画像がセンシティブ扱いになる……。

文フリ東京人多い暑いしんどい買うもの買って休憩所でぐったりしてる

二時間ずっと気が済むまで自己紹介させるという教会の対応は本当にその人への配慮になっているのだろうかという疑問はある。"倫理"ではなく、"現場"の問題かも……?

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栗田さんは「呻きから始まる」で、教会の講座の最初にやる自己紹介で参加者の一人が二時間近く性的に際どい話も含んだ自身の生育歴を語り出し、そのせいで来なくなってしまった他の参加者がいたという話をしていて、難しいなと思った。その人への配慮が、他の人への無配慮になってしまうような"バランスの悪い人"(栗田さん曰く)をケア倫理はどのように受け止めるのだろう。

"「弱さ」とは単に弱々しいだけではなく、ある種の暴力性をまとっていることが多いという事実"
(呻きから始まる p.117)

マストドン、実はサービス開始当初から利用していてこのアカウントは3つ目となる。1つ目はプライベートなアカウントとしてまだ使用している。2つ目はアカウント凍結時の避難所として使っていたがサーバーが閉鎖して消えた。

明日は文フリ。自分が書いたものが載ってる本が頒布されるけど、流石にここじゃ宣伝の意味ないか……(TwitterとInstagramの方に告知があります)

"「愚かさ」「弱さ」への最低限の尊重はなくていいのか?という問いは、「できるけどやらない」という状況よりも、「できないのか、やりたくないのか、やれないのかが混沌としている」というときにこそ、最も先鋭的に現れるのではないか。"
(ぼそぼそ声のフェミニズ厶 p.147)

栗田隆子さんの「ぼそぼそ声のフェミニズム」を再読。最初に読んだのが大学1年生の時で、まだフェミニズムの本を読み始めたばかりの頃だったから、その頃よりも汲み取れるものは多かったです。

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Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。