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〈内的体験〉は脱自=恍惚であり、コミュニケーションであるといわれる。体験の中で「主体と客体とは効力を停止する」。しかし、そこに生ずるのはすべてを呑みこみ流し去る混沌ではない。「このとき主体は非知、客体は未知となる」。いいかえれば体験は、一切の差異を流し去る幻惑の中に主体を呑み込むのではなく、主体の個別性の解消によってもはや主-客の関係の中で客体を知によって支配しようとしない〈非-知〉と、主体によって所有されるべき客体ではない〈未知のもの〉(もはや知の対象ではありえないもの)との直の接触を生むのである。もはや知の関係、主-客の関係に限定されず感性的体験と区別されないこの接触、それが〈コミュニケーション〉であり、〈体験〉を支える〈共同体〉のもはや限定し得ない実質であるが、その〈共同体〉とは、未完了の存在が裸でその有限性をさらし合う純粋な差異の接触としての〈共同体〉にほかならない。

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