快原理そのものは当初、生命の自己保存を導く原理として持ち出されていた。しかし実際にはそれだけでなく、拘束の機能を通してこそ「無機的世界」への回帰=死に最終的に奉仕するように働く。一方で、快原理は、心的活動の拘束を通して、快/不快、拘束/拡散、生/死の循環的エコノミーとして生命を維持するように努める。しかし他方、そのエコノミーがいわば螺旋状に進行するにしたがって、最終的に「有機体はみずからに固有の仕方で死のうとする」のである。この水準では快原理は死の欲動に奉仕する。「すべての生命体の目標は死である」という「死の欲動」は、生そのものに内在する死の反復(反復強迫)、およびそうしたエコノミーの終わりへの帰還として理解できる。