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近傍の研究者でも時々勘違いしている場合があるが、「あらゆる意識は何ものかについての意識である」と書いたのは実はフッサールではなくサルトルである

フッサールにおいてそれに当たるのはデカルト的省察第14節の末尾。

「志向性という語は、意識の一般的な根本特性、何ものかについての意識であること、すなわち、コギトとしてそのコギタトゥムを自らのうちに伴っていること、他ならぬこのことを意味している」。

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