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東の観光客や訂正可能性の議論は不思議とレヴィナスの出生論に接近しているように思われる。存在論的郵便的の図式で言えばレヴィナスは明らかに「否定神学」として棄却される思想家だが……逆に言えばレヴィナスにおいて「否定神学」的でない部分があるとしたら出生論ということなのかもしれない

この辺ね(画像は『全体性と無限』)。「子どもたちに囲まれた不能の主体は、不能ではあるけれど決して無力ではないのだ。世界は子供たちが変えてくれる。人間は、人間を孤独のなかに閉じ込める「この」性の重力から身をひきはがし、運命を子どもたちに委ねることで、はじめてイワン=スタヴローギンのニヒリズムを脱することができる」(『観光客の哲学』)

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