宇野氏、好きすぎる…

そして僕は第二次安倍政権を支えたのは、「ネトウヨ」よりもむしろこの「冷笑」文化だと考えている。古谷経衡さんがよく指摘しているように、「ネトウヨ」はせいぜい国民の2%前後に過ぎない。問題なのは、むしろこの「ネトウヨ」を批判する「リベラル」を、「あいつらがまた優等生ぶってネトウヨを批判している」と、「冷笑」していた層なのだ。この「コスパよく」負けた側を後出しジャンケンで叩く「冷笑」こそが、「現実を分かっているオレは安定政権ならなんでも、つまり安倍政権でOK」という態度に結びついていったのだと思う。その結果が、一方では公文書の書き換えや取り巻きのレイプもみ消しまでやりたい放題の国政の私物化につながり、もう一方ではこの2024年になっても選択的夫婦別姓もライドシェアもない「停滞した日本」をもたらしたのだ。(引用)
note.com/wakusei2nduno/n/n1fa2

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そして、そこからの吉本隆明、糸井重里批判への接続。もう本当にだいすきすぎる。

吉本はこの失敗を経て、80年代には今度は「消費」を通じて「個人」が自立することを提案する。

つまり「好きなものを自己責任で買う」ことが共同体や国家から「自立」した主体をつくる、というわけだ。これはまだ、「消費」が真新しかった当時だからこそ機能した戦略で、「消費」が当たり前になった現代ではその威力は発揮されない。それどころか「モノ」消費にこだわっている人はちょっとイタい人くらいに思われる。

しかしここをアップデートしてまだまだいけると考えたのが糸井重里だ。吉本思想の実践者である糸井は、モノではなくコト、つまり商品ではなく商品に付随する「いい話」の力でモノを売るのだ。そして「暮らし」を楽しむと「中くらい」の「ゴキゲン」が手に入る……それが「ほぼ日」だ。(上記引用)

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