関東大震災のときの人びとを虐殺に走らせた「流言・飛語」は行政からのアナウンスにも含まれていたことを忘れてはいけない。
加藤直樹氏の本と、ナオミ・クライン氏のショック・ドクトリンの両方が必要、かつレイシズムに各自が向き合わないといけない感じ。余力があったらそれらを学べるような会を開くのもありかと思うけど、本来それは行政や政治の人たちがやってほしいとこ。
我々だけが知恵つけてもしゃあないんだよな(学びが不要という意味ではない)。向こうは素人の知恵なんかなぎ倒して来るのだし、関東大震災にアナキストや社会主義者も殺されたのはそういうことでしょ。
やはり、関東大震災のあとに起きた虐殺は反省や教訓だけで過去のことと向き合うだけで終わらせず、人はこういうことをしうる、という今現在のことでもあるという向き合い方が大切だと思った。
それは個々人の自身にある差別心との向き合い方もそうなんだけど、非常時にストレスを増幅しないような仕組みを作っておくとか、行政やメディアの広報のルールを作っておくとか、社会インフラの側から不安やストレスの増幅によるパニックや他者への攻撃が起きにくくすることは出来るんじゃないのかと思った。
その視点で過去起きたことの検証することは大事だと思うし、感情やイデオロギーで向き合えずにいることが結局、反省を次に活かすという当たり前のことに繋がらない。いつまで経っても。これは「戦争」に対してもそう。
東京が電車が1時間止まることより、石川県がいまだに元旦のままの生活を送っている人がいることをもっと考えなきゃいけない。
今起きた災害より、これから来るかもしれない災害を煽る広報をもっと批判的に見ないといけない。
社会の仕組みと人はこういう時にこういうことをしうるという学習が圧倒的に足りない。