sarutora.hatenablog.com/entry/
結局まあここで書いたことの繰り返しで、思いつきで書いているので雑な話になってしまうかもしれないのだけど、またノーマスク左翼について。
 どうやら「政府が感染対策に名を借りて市民の自由を制限しようとしている」みたいな構図から出発していまだに考えている人がいるようなんだけど、でも、そんな構図最初からなかったと思うんだよね。ごく初期に確かに中途半端な行動制限があって、確かにそれでものすごく損害を受けた人は多いのだと思う。しかしそのころから、政権の周辺は常に一貫して「コロナは大したことない」「検査しなければなかったことにできる」「感染対策より経済が大事」だったのでは?「政府によるマスク強制」「マスク警察=同調圧力」→→ノーマスクは抵抗、みたいな構図なのかもしれないけど、そもそも政府がマスク強制なんかしたことあるっけ?少なくとも現在「政府による脱マスク強制」は明確にあるでしょう。文科省の学校への通知とか。あと、「マスク警察」という言葉はやたら流行ったけど、コロナのごく初期はともかく、そんな雰囲気今どこにもない。

 感染対策=「生かす権力」みたいな発想が背景にあるのかもしれないけど、いやいや、権力、全然生かそうとなんてしてないでしょ、て思うんだよね。むしろ下々の連中の生命なんてどうでもいいと思ってるのは明確。フーコーそんなに詳しくないけど、フーコー持ち出すなら、いま問題なのはまさしく「死ぬがままにする権力」ではないのかね。私は、「抵抗」のつもりで「マスクはずす自由」を行使するなんてことしたら、やつらの思う壺だと思うので「殺されてたまるか」という思いで、「抵抗」としての「マスクする自由」を今後も行使するつもりだけど。それは別に従順な身体とかそういうのじゃないと思う。

あと、自分の生命だけじゃなくて、感染が広がったら弱者から先に死んでいく。どちらかというと、殺したくない、の方が先にあるのだけど、そのへんノーマスク左翼の中でどうなっているのかがわからない……。

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都合のいい時はコロナを持ち出して情報統制しようとする政府は批判すべきだけど、コロナは続いてる「みたい」じゃなくて事実続いてますよね?「ポストコロナに移行」というのも政府の演出であるのは明らかで、そっちには安易に乗っかっちゃっていいんですか?twitter.com/nankuru_akabeko/st

澤田大樹という人は、自民党政権に批判的な立場の記者かもしれないけど、ことコロナに関しては前から政府のコロナ軽視に簡単に乗っかった発言をしてた(武田砂鉄のラジオとかで)。確か尾身を評価するような頓珍漢なこと言ってたし。でもこういう人は澤田記者だけではなくむしろ「リベラル」系含めほとんどのジャーナリストがそんな感じな気がする。

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