『いのちの星のドーリィ』、こんな自己犠牲があっていいのかよォ~~~!!!!!!!って大号泣したんだけどそもそも己の顔を与え続ける男の話なんだわ

命がけの自己犠牲を称賛する話とする読み自体は否定できないと思うけど、“私は”絶対にそう受け取りたくないな……。アンパンマンがパンチを打つまで無言だったのとか、葬列のシーンが本当に悲壮でみんな悲しんでたのとか……。パンは何度でも焼けるけど“あの”ドーリィの命はあれ一つきりなんだよ

レギュラー放送か絵本か映画か忘れたけど、アンパンマンの顔が食いしん坊にどんどん食べられてパン工場帰れるギリッッッッギリまでいっちゃったのを見たことがある気がするんだよね。アンパンマンは顔を与えてもまた復活することができる。通常であればの話だが……

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いやほんとずっとドーリィのこと考えてるしなぜあそこでアンパンマンがああなってしまったのか考えてる。仮説なんだけど、いのちの星を維持するのに必要なのが“生きるよろこび”だとして、なければドーリィのようにすり減っていくし、極致に達したとしてもなくなってしまうのかもしれなくて、アンパンマンはあの時「ドーリィを守れるならもういい」という気持ちになってしまったのではないか……

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