カジモドに比べればずっと選択肢があったはずの人に『選ばせ続けてきた』信仰の恐ろしさみたいな見方もできなくはないかもしれないけど、もしそうならエスメラルダの歌はないだろうな、と思うし。
こっからは個人的なエピソードなんだけど、高校の時プロテスタント系の学校で、部活しんどすぎて廊下で泣いてたら聖書の先生に「神様は乗り越えられる試練しかお与えにならないのよ」って慰められたことあって。当時は(私に試練を与えているのは部活の先輩だが!?)と思ったけど、でも今にして思えば、信徒同士ならそういった考え方で何かを分かち合えるんだよな、きっと。
でもフロローは誰とも何も分かち合ってこなかったんだね、と思う。