Georg Cantor の有名な言葉に,「数学の本質はその自由性にある」(„Das Wesen der Mathematik liegt in ihrer Freiheit“ ) というものがあります.でも,日本では,日本語の「自由」と言う単語を「勝手気ままに何でもやってしまうこと」というように解釈する人が多いようなので,この Cantor の言葉は,全体として,おそろしく変な解釈をされてしまっているかもしれません.
この「自由」の日本でのおかしな解釈は,思ったよりずっと蔓延しているようです.実は,最近,日本数学会の会報誌に寄稿した作文で,この「自由」という単語を不用意に使った結果,作文の校正をした方からすごく場違いなコメントをいただいてしまった,という痛い経験をしました.
カントルの言葉にある「自由」や,私の使う「自由」は「精神の自由」の意味で,だから,私の作文にも,最終稿では『ここで言及している「自由」は,仏教用語としての「自由」ではなく,むしろ,キリスト教の用語の日本語訳としてのそれです.』という脚注を加えてみることにしました.

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でも,この「仏教用語」というのは,ちょっと misleading な言い方だったかもしれません.漢語の「自由」は,仏教用語としては,多分,サンスクリットの Svarājya ( स्वराज्य) の漢語訳で,このサンスクリットの単語は,意味からは,英語の sovereign に対応するようです (英語とサンスクリットの単語で音が似ているのは偶然なのか,それとも本当に同語源なのか?) .Svarājya が国家としての独立なら,libertas は奴隷でないこと.そうだとすると,ここでは,むしろ ``仏教用語の日本での解釈としての「自由」ではなく,...'' と書くべきだったかもしれません.

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