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ゲゲゲの謎 

水木の「ツケを払え」と「狂骨が暴れてぜんぶ壊れたとしても、ほうっておけ(自業自得でありお前が自分を犠牲にする必要なんてない)」という台詞はまじで「それだよ」って感じで、しかし「そうはしたくない」とすぐに返すゲゲ郎の根拠が「子供」に加えて「友達」なのが、そう……そうなんよ……友達には生きててほしいんよ……とこの自分のなかの矛盾と身勝手さ(進撃の巨人でも同じ状態になっていた)について考えてしまうわけで……そういうわけなんです……。

それはそれとして、水木というひとの怒りのかたちや理由がしっかり描かれていて「水木ならこう言うだろうという説得力」があり、キャラクター描写がしっかりしていた。水木やゲゲ郎の魅力もあって、これだけヒットしているのかと思いますが、かなり納得した。

この映画を観て落ち込む必要あるんか……!?とも思うが、めちゃくちゃ落ち込んでしまっている。なに……?なぜ……?

今まさに虐殺が行われているとわかっていて、それがテレビでも流れていて、見ている知っているのに「利益」のために止めに入らず反対する人間をキャンセルしてさんざんこれまで利益貪ってきたくせに都合のいいときだけ立場の弱い方へ体よくいろいろ押し付けてきて。この世界で、この映画を観ているのが、かなりつらい……という落ち込みなんでしょうか。

いま私の享受してる色んなものもたどっていくと数多の吸い上げられた「血」がぜったいに混入していて、そして私の身体や脳や思考すらもその「血」が混じったものを取り込みながら育った。切り離せない。でも語り継ぐことを放棄して綺麗な上澄みだけを見せたり全部投げ出して「滅べばいい」とやけになったりするのが私達のやるべきことなのか?それは違うんじゃないかって思うんですよねって言われたと感じている。

映画の最初のほう、 

血液銀行の役員の台詞をふまえるとたぶん血液銀行は「Mの材料が血」とわかっていたと思う。
そもそも龍賀製薬会社と繋がりが強かったのも、材料に必要な「人間」を血液銀行が手配していたからでは。血液を売る人々は貧しく、いなくなっても気づかれないような人もいたと思うので。その見返りを血液銀行も得ていた。最悪なシステム。人間をただの「資源」としか考えてない。クソ。
だから、水木のお給料もそうやってつくりだされたクソみたいな利益から出ていて、それでごはんを食べてきたんだよ〜と映画の途中で気づいてしまってほんとうに最悪だから全部ぶっこわれてほしいで頭がいっぱいになってしまった。

とちゅうから「ぜんぶ、ぶっこわれてほしい」で頭がいっぱいだったから、アクションシーンとかあんまり記憶に残ってなくて申し訳がない。
関さん(ゲゲ郎)と木内さん(水木)の声がすごく良かった。何よりここの二人のバディ(種族も違うが同じ酒を飲んで助け合う関係性)が救いになっていた。

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