とりわけ中等教育段階の学校では、何らかの形で選別を行わなければならない宿命を持つ。そのような宿命を持つ学校が、「できるだけひろく、多様な社会的、経済的、文化的背景をもった数多くの子どもたちが一緒に学び、遊ぶことができるような場で行われることが望ましいわけである」(宇沢弘文(2000)、社会的共通資本、岩波書店)との要請にこたえることは無理だ。そこで社会教育の登場である。社会教育は広くあまねく多くのひとが参加できるようにするとの理念は持っている。学校教育が担ってきたこどもの居場所機能を社会教育に移し、そのような社会教育にこどもが広くあまねく参加することで、学校に行けないことによってこどもが被る不利益のかなりの部分が緩和される。学校に戻すことが唯一の選択肢であるとするのではなく、学校も数ある教育機会の一つに過ぎない程度の位置づけにして行く方がより現実的で倫理的ではなかろうか。
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