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「沖縄問題」に関わる多くのヤマトリベラルもそうだ。沖縄人をケアするふりをして実際は自分を、日本人をケアしている。
厳しい指摘や批判をすれば論理が破綻している反論を延々と繰り返し、加害者と認められない多くの日本人がそれに賛同する。そして数で負ける。
リベラル批判は無視され、ひどい時はブロック、ばれないように回避する人はミュートを使い「やれる人がやれる事をやれる時に」というマジョリティのための合言葉を悪用し、やりたい事だけをやり続ける。それが日本にいるリベラルの多くを占める。
ドキュメンタリーを作って沖縄問題は解決しない。日本人の作った琉球音楽で癒されるのは沖縄人じゃない。ヤマトのエース記者が何人移住しようと無意味だ。絶対的な権力を持つ国に対し、日本人を沖縄側に呼び「権力」という土俵で勝負しても、権威主義に陥った時点で日本の思う壺だ。
そんな批判は権力的沈黙を思う存分活用し、「ゴーヤ」か「ゴーヤー」かの指摘を受ければ快く訂正する。イントネーションを沖縄人と似せることが沖縄に敬意を払う事とでも勘違いしてそうだ。ゴーヤでもゴーヤーでも自分のイントネーションで話せばいいし、困ったら「苦瓜」って言えばいい。
歴史的な加害の清算に着手しないヤマトリベラルは論点をずらし今日も自分をケアしている。