「方言札」の一件で「沖縄出身ですが私は気にしません~」とか言う人やそれにイイネする人の多さに同化のおぞましさを感じる。
世界を見渡しても、少数民族を弾圧することはあっても同化させ歴史を修正し、民族自体を(生かしたまま)否定し存在すら認めないというのは稀で、少なくとも存在自体は認めている。
そして最も恐ろしいのは「弁えた」「優しい」ウチナーンチュが自ら民族を否定し、文化盗用を許し、歴史を忘れ、「私はいいと思います」と言ってしまうこと。
日本に奪われた歴史や文化、言語、土地などは過去の話となり、全てをウチナーンチュが献上した物語に変わってゆく。
日本人に「寛容」「優しい」と言われ喜ぶ利己的なウチナーンチュによって同化は完了する。
『サーミの血』の監督の言葉が重い。
ー存命している老齢の親類の中には、自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます。つまり、アイデンティティを変えた者と、留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。両者は互いに話をしません。ー