日本があえて作り出した「貧困」によって植民者が行う全ての破壊行為がその「貧困」問題解決のためだと正当化されてしまう。
作り出された貧困から沖縄県は自らの力だけで脱することはできない。一部の人の努力では変えられない問題が構造的差別である。
言語を奪ったのはアイデンティティを破壊するのに最も効果的だからだ。日本語では上滑りするような感覚がたまに起こるのはアイデンティティと言語が切り離されているから。無自覚にせよ本来の言語でなければ伝えられないことは多い。
「田舎にしてはインフラが整っている」などに見られる「沖縄思ったより都会説」は言うまでもなく日本人が快適に過ごすためであって沖縄人のためではない。あくまで日本が沖縄にしてきた(いる)全ては日本人のためである。一見素晴らしい大学院大学OISTなど典型的でしょう。
日本人は沖縄の中に日本と「違う」点を見つけては「異国情緒」などと表すが、歴史的背景を知れば日本と「同じ」点こそ違和感を持つべきであり、そこに自らの加害性をくみ取れる知性を磨くべきでは。