川内村は、いちばん最初に避難指示が解除された地域になります。
現在までの復興について、川内村は検証を行なっているとのことですが、ほかの避難自治体も自治体どうしで復興の状況を共有しながら進めれば、先の自治体の様子で参考になることもあったり、重複を避けたりできたのではないかとも思うのですが、実際のところ各自治体から出てきた要望は、「となりの自治体に作ったんだからうちにも同じものを」ということだったのですから、国だけの責任ではない側面も少なからずあります。
「工業団地は、働く場の確保に手っ取り早いと思いました。工場設置費の最大4分の3を国が補助するという、企業にとって魅力的な仕組みです。でも、補助率は時間の経過とともに5分の3、2分の1に順に下がる。川内村より遅れて避難解除された浜通りの自治体で工業団地の整備が始まると、補助率が高い地域に行ってしまう。『川内の補助率はいくらですか』と企業は聞いてきました。進出を望むのはベンチャー企業が多いので、体力面の問題もあります。稼働後に撤退した社もありました」
「国の支援からの自立を」 避難解除10年の福島県川内村・遠藤村長
https://www.asahi.com/articles/ASS9X45BSS9XUGTB002M.html
それから、高校のこともそうです。
夢のようなトップレベル進学校がひとつあれば、人がどんどん集まってくる、という話ではないです。
そこに行けない世帯は、ますます選択肢がなくなって、地域から離れる結果をもたらすことになります。
原発事故があってもなくても、進学先の選択肢は狭まっていたかもしれませんが、双葉郡にスペシャルエリート教育校があれば、すべてが解決、といったものではないです。
公教育は、幅広に、いろんなレベルの子供達に対応できなければ、行き場所のない子供達は、不登校か引きこもりか、民間のフリースクールに行くしかなくなります。フリースクールの選択肢はどこでも多くないのに、ましてや田舎ではなおさらです。
「村に高校はなく、村の大半の子どもたちが通っていた富岡町や大熊町など沿岸に近い五つの高校はすべて休校になった。公共バスで中通りの船引高校と小野高校に通うことはできますが、統合されることが決まっています。」
工業団地に入った企業は、ほかの地域でも同じように補助率目当てだけのところも多いので、どこも似たような経過を辿ると思います。
このインタビュー、他の双葉郡の首長さんや関係者、あとは県庁の人たちに読んでほしいところです。
「5年後に復興庁が存在しているかもわかりません。将来、双葉郡の各町村が自治体の体をなしているのか。子どもの人数が減って小中学校を維持できない自治体も出てくるでしょう。双葉郡全体の問題として、地域をどう維持するかの議論をしなければならない時もいずれ来ると思う。復興予算が絞られていくなか、村にとって本当に必要な事業は何かを、まずは自分たちで考えていかなければならない。」