朝日の昨日の論壇委員の記事でも、「エモ記事」が話題になっていたのですが、私は、この記事について公開議論に応ぜよ、という主張のロジックも意味もまったくわからないです。

不祥事を起こしたのであれば、説明責任はありますし、当然、議論なりなんなりで説明すべきだと思いますが、今回のは、たんに記事の書き方の問題で、それが好きか嫌いかというだけの話で、応答義務は生じないと思います。

なぜここで「誠実に」を求めるのか、正直、ヤクザ用語での「誠意を見せろ」と同じに聞こえるのですが…。

パブリックエディター制度はあるので、パブリックエディター会議で議論の俎上に載せるのはいいのではないかと思いますが、公開での議論に応じろというほどの話ではないように思います。
もちろん、それに応じたいという記者さんがいるなら、すればいいと思いますが、したくないならしなくてもいい程度の話ではないでしょうか。

「西田氏が求める通り、朝日新聞にはぜひ公開の場で議論に応じてもらいたい。政治という権力に公平性と透明性を求めるように、メディアにもそれは求められる。自らへの批判にも誠実に答えることが信頼を得ることにつながる。」

論壇委員が選ぶ今月の3点
asahi.com/articles/DA3S1604366

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どうも、朝日新聞が弱目なので、それに乗じてマウント取りたいという気配が見え隠れするのも、この一連の議論に違和感を覚えるところです。

すべての記事を擁護するわけではないですが、この件については、なにか記事上の不手際があったわけでもないのに、過剰要求ではないかと思います。

マスメディアがマスメディアである以上、一定の大衆性は必要とされるわけで、インテリ好みの記事ばかりあったとしても、それで商業媒体して成立するわけではないとも思います。

インテリの絶対数は限られているので、それをメインターゲットにしたところで、売れる数はあらかじめ相当に限定されるわけですから。

戦前に制限されていた知識の渇望から、戦後、文学全集がどの家庭にも求められたような、知識が大衆のあこがれだった時代は終わったなか(あるいは「大衆=マス」そのものが見えなくなったなか)、新聞がどういう役割を果たすのかは、経営的には短い目で、文化論的にはもう少し長いスパンで見ていく必要があるように思います。

こういう前提の上で、朝日新聞の記者が、がっつり理論武装して、エモ記事論争上等!100倍返しで言い返すぜ!というのは、それはそれでいいと思います。

私も、大学院行くことにしたのは、日本政府のリスコミがどれだけダメなのか、がっつり理論武装してぐうの音が出ないほど言い負かしたい、が直接の動機なので、そういうのは応援します。

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