放送大学の防災の講義、内容はとてもいいのだけれど、災害の時に活躍した地元の人で出てくるのがすべて男性、というのが、おそらくは福島で起きたように、本当は活躍していた女性もいたのに、その活躍はなかったことにされ、男性だけの手柄にされてしまったんだろうなぁ、と思うと、貴重な証言とは思いつつも、全面的に信用もできないだろうと感じます。

女性が男性を手助けする行為は、自分が中心になっていることが当たり前の前提になっている男性には、記憶にさえ残らない当然の行為なので、女性の仕事を自分の手柄にしている、とさえ思っていないだろうと思います。助けている女性本人もそう思っている人もいますが、そうではない女性もいたはずで、結局こういうことの積み重ねで、被災地からは女性の流出の方が増えるのではないかと思います。

発展途上国の場合は、逃げていく先もないので、女性の方が被災地に留まる割合が高くなるのですが。

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よく言われるのだけれど、ケア労働は無償のものと思われている、というよりも、女性が提供し、男性が受け取るのは当たり前という前提があるのだろうと思います。

能登地震の聞き取り調査でも、女性から「地域の男性から、避難所で地域の母親役としてのケア労働を、あたりまえに頼まれてしんどい」との声がでてきていました。

そういう声が可視化されるようになっただけ、時代が少しは動いたのかもしれませんが。

災害のあとは、女性も男性も同じくらいがんばったはずなのに、功労者として残るのはすべて男性だ、というところの不自然さには、もっと気づいていただきたいです。

上の世代を見ていた若い世代は、結局、ここでやっても評価されるのは男性だけで、女性は手助け以上のことはさせてもらえず、やったことそのものも評価されないんだな、と察知して、その地域から去っていくのだろうと思います。

本人もそこまで明確に意識はしておらず、「なんか居心地が悪いな」「ここにいてもなんとなく未来がなさそうだな」という程度の感覚かもしれませんが、進学や就職などなにか機会があれば地元にとどまらない選択をするには、十分過ぎるモチベーションになると思います。

母娘(+配偶者)で福島で小さな民宿を経営していた女性が、事故によるそんなに大きな影響があったわけでないにもかかわらず、「ここでは明るい将来をイメージすることができない」という理由で、別に経営が悪かったわけでもない民宿施設を置いて、移住してしまったとういケースがあるのですが、「明るい将来がイメージできない」というのは、ぼんやりとした理由のようですが、どこに住むのかを決める上では、決定的な、強い動機になるのだろうと思います。

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