コミュニティが再建しなければ、生活再建が完了したとは、多くの人は感じられない、ということです。
この場合のコミュニティは、必ずしも旧来の、災害前のコミュニティである必要はなく、本人が帰属意識を持てる価値観を共有できるものであれば、それでもいいのだろうと思います。
こういう観点をとことん無視して、箱物ばかり建てまくって、その場しのぎの辻褄合わせばかり終始してきた福島復興政策は、阪神淡路に比しても明確に劣化したものである、といえると思います。
失われた30年とはいいますが、災害復興政策においては、失われたどころか、劣化していたわけで、いま見えてきている日本の衰退を先駆けていたといえるのかもしれません。
帰還困難区域の「まだら除染問題」で、私は最大の問題点として、コミュニティの再建が不可能であることを指摘していたのですが、これまでの災害研究の知見から考えても、どこまでいってもぬかるみの深みに嵌っていくだけの、最悪の政策だ、という私の指摘はあたっていると思います。