リンクは貼らないのですが、朝日のアナザーノートに福島の「元子供」が取り上げられていた件、軽く炎上しているみたいですが、それはそれとして、個人的には、もう周囲の人間は放っておいてあげるべきじゃないかと思います。

記事にしたいというきもちは記者のメンタリティとしてはあるでしょうが、私は、彼女たちに必要なのは「自分の言葉を自分で獲得するプロセス」だと思っています。

これはトラウマの回復プロセスと同様になりますが、安全な環境で信頼できる人と知り合い、時間をかけて自分自身で自分の経験を整理し、それをやがて語れるようになること、時間はかかりますが、それしかないと思います。

周囲の人間が先回りして、本人が語るべきことを書いてしまうのは、本人の獲得プロセスを阻害してしまうことになると思います。

私は自分のnoteに書いた時に、複数の人のエピソードをより合わせて、対象をぼかして書いたのは、当事者の代弁をしているわけではないし、必ずしもあなただけのことを書いているわけではない、という距離を作りたかったからです。
そうしないと、本人がやがて語るべき言葉を、私が先取りして奪ってしまうことになるような気がしました。これは、あくまで当時すでに大人であった私の問題です。
note.com/ando_ryoko/n/n1996389

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私が話した若者たちは、みな、賢いです。時間はかかったとしても、適切な環境さえあれば、やがて自分自身でしっかりと自分に起きたことを語れるようになると思います。

本人たちが、語るべき自分の言葉を獲得し、それを誰かに伝えたいと思う、それまで、報道の人間は待つべきだと思います。
それが、当時の子供達を格好のネタとして利用してきたことへの、せめてもの贖いだと思います。

私たちは、日々、あまりに無駄に多すぎる言葉を消費していますが、真に語るべき価値のある言葉は、心の深いところを通り抜けて、長い時間をかけてしか生み出せないことも多いです。

それは、もしかすると一生をかける仕事になるかもしれない。
断片的で、作品とは呼べないものかもしれない。

けれど、そうして生み出された言葉は、他にはない勁さと力を持っているものです。

私は、自分自身が言葉によって支えられてきた人間として、そうした言葉の生成プロセスを大切にしたいですし、彼女たち自身が語るべき言葉を獲得するまで待ちたいと思います。

これを読んでいる朝日の記者さん、大月さんにそのようにお伝えください。

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