本来は「政治的な話はしてもしなくても本人のプライバシーであり自由である」べきなんだけど、ここまで様々なヘイトと愛国主義が台頭してくると、内心はどうであろうが「賢い」「正解」の振る舞いは差別や弾圧への消極的肯定になってしまう。それは戦前の日本やドイツ、あるいは戒厳令化の台湾や韓国が証明しているし、いまの中国やロシアを見ていてもそう。Point of no returnを過ぎるまえに、大小関係なく影響力をもつクリエイターには特にそこを考えてほしいなあ…。
24時間でなくていい、週に5分だけでいいから、自分がマジョリティの鈍感を甘受していることを思い出して、表で連帯してほしい
普段から「賢い」「正解」な振る舞いを是とするとき、私たちは最後に朝鮮人をリンチから守れるか、ユダヤ人を匿えるか、レジスタンスやパルチザンとして弱い人びとと連帯し戦えるか、光州で権力と戦えるか。
私は「いいえ、あなたたちは知っていた」と弾劾される側だろうからこそ、いまから声を挙げる。なにも出来ないから、せめて声をあげる