自身の市場規模がどうであれ、クリエイターがSNSなどの意思表示ができる場で、政治や社会の話を一切しないことが「正解」、鈍感な振る舞いでいわば「差別もしないが差別反対も言わない」ことが「賢い」、というの、市場には"マジョリティ"しかいないし"マジョリティ"しか相手にしない、という態度であるというメッセージになりかねない、というか事実としてそういう意味の行為である。
というの、仕事柄「賢い」「正解」の振る舞いをしているだけ、というエクスキューズをする人には絶対通じないんだよね…
なぜアカデミー賞がマイノリティ規定を入れたのか、という話にもつながると思う
本来は「政治的な話はしてもしなくても本人のプライバシーであり自由である」べきなんだけど、ここまで様々なヘイトと愛国主義が台頭してくると、内心はどうであろうが「賢い」「正解」の振る舞いは差別や弾圧への消極的肯定になってしまう。それは戦前の日本やドイツ、あるいは戒厳令化の台湾や韓国が証明しているし、いまの中国やロシアを見ていてもそう。Point of no returnを過ぎるまえに、大小関係なく影響力をもつクリエイターには特にそこを考えてほしいなあ…。
24時間でなくていい、週に5分だけでいいから、自分がマジョリティの鈍感を甘受していることを思い出して、表で連帯してほしい