私の親しくしている人でも、マジョリティという立場ゆえにしがらみ、他人への配慮、そして賢い選択として沈黙を選ぶ(選択できる)人は多い。一方で、しがらみやエネルギーの枯渇で黙るしかない人もいる。そういう人たちそれぞれの事情をすべてくみ取ったうえで切り捨てず、声を上げることを肯定する。運動ってそういうことだなあと思う。ときどきある「沈黙している人は声を上げてる人にフリーライドしてる」みたいな言い回しだと結局誰も幸せにならないわけで対立しか生まないしなあ。
ただ、あえて沈黙を選べるマジョリティという立場については、強く自覚していたいなあというのは常にある