野田佳彦2012「ポール・マッカートニーのいないビートルズ」
野田佳彦2016「ジョン・レノンのいないビートルズ」
https://x.com/ALC_V/status/1830812410804076921
こんなの見つけた。
じゃあ、野田は「リンゴ・スターのいないビートルズ」ならどうなんだ。
それもだめだろ。
ビートルズはだれが欠けてもビートルズじゃなくなる。
3人そろってビートルズだよ。
パレスチナと気候変動。民主党大会で不自然なくらい語られなかった。トランプは絶対に避けなきゃだけど、民主党の姿勢を批判し続ける必要があります。⇒ マイケル・ムーア氏、民主党全国大会でパレスチナ系アメリカ人が一人も登壇しなかったことを「恥ずべき」と非難 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_66cfc97be4b04f2c61c9bc77
ところで自分は昔は町山氏のことはファンってほどではなかったがそこそこ好きでネットラジオとかをよく聞いてたんだけど(『ハロルドとモード』もそれで知ったと思う)、「ちょっとこの人ダメだな」って距離を置くようになったのはラジオかなんかで『ブルーバレンタイン』って映画のことを語っていたとき、そこで町山氏の主張していることが思いっきり「ザ・資本主義下での家父長制」って感じだったからだな。男は仕事してたくさん稼いで妻に認められねばならない、って感じのことを言ってた(町山氏や町山ファンは本質はそうじゃないみたいな言い訳をするかもしれないけど)。
それに加えて、町山氏が「マニアックな趣味の女がいたらそれは男の影響」みたいなこと言ってるのを聞いたときにもドン引きしてこいつダメだと思ったよ。
町山智浩氏が言ってるニューシネマの特徴が反家父長制であるっていうの、そうなのかあ?って思う。
たしかにニューシネマの主人公って家父長制的な価値観を体現するって感じじゃないアウトローや流れ者だけど、アンチ家父長制って感じでもないし、それを言うならジョン・ウェインの西部劇だってそういう主人公だったりするし、単に青年が一度家を出て冒険するっていう過程にあるだけにも見える(物語上ではニューシネマの主人公は若くして死にがちだが)。さえぼう氏も、反家父長制がアメリカン・ニューシネマの特徴だとは思ってなくて父と息子の反目はアメリカ演劇でよくあるテーマだと言っている。
最近、羽生が負けててつまらないから、渡辺明に藤井先生倒してもらって刺激が欲しい。
赤城の山も今夜を限り
生まれ故郷の国定の村や
可愛い子分の手めえ達とも
別れ別れになる首途だ
And we're living here in Allentown