先にリンクした朝日の記事に、辻田真佐憲氏が「「大東亜戦争」と使ったから即アウトみたいな機械的な反応はそろそろやめたほうがいいのではないでしょうか」とコメントしていますが、率直に言って、中立を装って俗情に阿った愚論でしかないと私には思われます。
現在「大東亜戦争」がどのような文脈で使われているかを考えれば、それはもっぱら、過去の日本の戦争を無理やり正当化する、日本版歴史修正主義的な言説ではないでしょうか。その現在の文脈を脱色し、「イデオロギーから自由な俺」を演出する仕草はネットに溢れていますが、悪いことです。
「大東亜戦争」の呼称の問題には、「大東亜共栄圏」につながる、日本が大東亜の盟主であり他のアジア諸国はその子分たるべし(「八紘一宇」の家長が日本)という発想があります。これが、中韓を代表とするアジアを格下に差別したいネトウヨ的心情と呼応しているのです。
広島県のとなりに住んでたこともあり、東京に行ってはじめて広島風の店に入るまで、ふだん食ってた大阪式のお好み焼きをなんとなく広島風だと思いこんでた。両者の違いはきっとソースの風味の違いくらいなんだろうと。
はじめて広島風お込み焼きを食べたときはカルチャーショックだった。
まず店の人に麺の量をどうするか聞かれた(値段据え置きで何玉か選べる方式だった)。焼きそばじゃなくてお好み焼き頼んでるのになんで麺の量を、と思いながら「麺はなしで」って言うと店の人もいっしょにいた友達も驚いて「なに考えてんだお前!」「ぺしゃんこのやつが出てくるぞ!」って感じになったのでしぶしぶ1玉で注文した。
鉄板で焼かれてる料理を見て、この世界には焼きそばにキャベツともやしを乗せたのをお好み焼きと言い張ってる人たちがいたんだと知ってショックだった(今では広島風の方が好きだけどね!)。
町山のどうでもいい悪口
町山(兄)が『アイアンクロー』紹介してるのをたまたま聞いてしまったんだけど、相変わらず話を盛りすぎっていうか極端に言いすぎなんだよな。ほんと10秒に一回くらい「そんな台詞/場面はねえ」って説明が出てくる。
話を盛ることで映画本編の魅力を殺しちゃってる気さえするんだよな。それは映画紹介としてどうなの? 『犯罪都市』みたいに悪人ぶん殴るドンソク兄貴を見に行く爽快アクションならともかく、人間ドラマを描いてる作品で極端な分かりやすい描写ばかりだったら退屈じゃん。極端にぶち上げて言っておけば面白そうという幻想を捨ててほしい。
実際の『アイアンクロー』は父親の酷さも兄弟が追い詰められていく様も、とても繊細に丁寧に描かれていて、単にあいつが悪いとか子どもがかわいそうだけでは終わらない複雑な感情が湧いてくるし、だからこそ深く温かい余韻を残す作品なんだよ。
a-ha (回文)
キム・ダービー、スーザン・ジョージ、キャサリン・ロスといったアメリカンニューシネマの女優はそれぞれ出てる作品2つしか知らないのに永遠に忘れないくらい印象に残ってる。『いちご白書』『勇気ある追跡』/『わらの犬』『ダーティー・メリー/クレイジー・ラリー』/『卒業』『明日に向って撃て!』。『勇気ある追跡』はさすがにニューシネマじゃないけど。
赤城の山も今宵を限り