今日、通りがかかりの最低な人物に差別的なハラスメント暴言を受けてしまってさすがにちょっと参ってる。
それで改めて思ったのが、リベラルの人がたまに言ってる「差別だなんだってだれかを糾弾して吊るし上げるのは、その人を余計に意固地にさせて、より差別主義者にさせてしまう。さらなる被害を少なくするためにも包摂しよう」みたいな意見はマジでクソだな、と。
どうしてもやりたいなら、そういうことを被害者も見てるかもしれないツイッターとかで言わないでこっそりと個人間でやれよ、と。そうやって糞野郎をヨシヨシしてお前の目指すステキな世界を作るために被害者を踏み台にしてりゃいいよ。
こーる勝った! #将棋
見ている 本当に酷い
ザ!世界仰天ニュース 命をかけた赤木ファイル“文書改ざん”の謎 | TVer
https://tver.jp/episodes/epo8b41mdg
1月9日(火)放送分 1月16日(火)20:59 終了予定
https://fedibird.com/@kon_nakayama/111729025540168799
「『SNSで疲れた時には猫の写真を』という言説」が何を意味しているのか、解釈の幅があり確信はないけれど、いずれにしてもここでバンクシーのガザの子猫(2015年)を持ち出すのはお門違いでしょう。
「ネットで子猫の写真ばかり見ている人々」にもこうすればガザの惨状が届くだろう? という皮肉であり(それ自体への評価は措く)、既に悲惨な情報の波に晒されている人が暫し猫画像に慰めを求める行為を断罪するものではないと思われる。
それから、私見では、「SNSで疲れた」と感じたらSNS(できたらネットそのもの)から離れて休むのがお薦めです。
参考 https://archive.nytimes.com/artsbeat.blogs.nytimes.com/2015/02/26/banksy-releases-new-works-on-gaza/?smid=tw-share
Banksy Releases New Works on Gaza (2015/02/26; NYT)
“he created the image because ‘on the Internet people only look at pictures of kittens.’”
赤城の山も今宵を限り