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ふらんす12月号の怪談特集で、ラフカディオハーンとフランス文学についての記事を読んだ。
その中に、テオフィルゴーチエの「クラリモンド」(原題は「死霊の恋」)をハーンが英訳しているとあったので、青空文庫で読んでみた。
芥川龍之介による和訳は、旧かな遣いで私には読みづらいかったので、岡本綺堂訳を読んだ。
若い僧侶が、美しい女性の吸血鬼に誘惑されたという(妄想の?)物語だ。
文章表現が豪華で、闇の中を城へ向かって疾走する二頭の馬など、場面がまざまざと心に浮かぶ。
しかし恐怖をかきたてる表現があればある程、ああ、異端のものと見られるとはこういうことか、と淋しいような気持ちになった。
「ポーの一族」を読んできた影響もあるかもしれない。あの作品は、ある社会の中で異端とされともすれば存在をなきものとされてきた集団、一族にも固有の文化、苦しみ悲しみ喜び、歴史があるのではないか、ということをテーマにしているからだ。この解釈は私のオリジナルでなく、萩尾望都の講演会の質疑応答で、あるファンが述べたこと(の私なりの再録)だ。これに対し、作者は、「全くその通りです。少女漫画なので、それを美しく描きました。」と答えたのだった。
ゴーチエ自身に、この異端視への批判をこめる意図はあったのか。あったような気もする。

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