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最近面白い話を聞いて咀嚼するみたいなことから少し離れて、手元の資料を纏め直すなどしている。

他者との関係性や背景の違いを考える時、その背景にある罪悪感や痛み、齟齬が生じる原因となりやすいもの、をより考慮した関係性の作り方を内側に作れるようになったら強いよなあと思う。
と同時に、それを経験がない時でも気付けたかは微妙だ。

痛みや苦しみを肌で感じる事でしか気付けないものというのはあるのだと思う。頭で考えたり、言葉にしたり、それでは追いつかない身体の反応としての。
その身体反応がなんだったのかに気付くには時間がかかる事もある。
その反応を正しく理解できれば、齟齬に気を配らずとも済むのかもしれない。
だが、理解するというのは難しく、そして終わりがないようにも思う。どこで落とし所とするのかは人による。

痛みや苦しみとは認識しないようなものであっても、別の方向から見ればそれと大差ない構造のものは多い。それに気付くのは、痛かったり苦しかったりするよりもずっと難しいのではないだろうか。

また、誰かの話をひたすら聞く、というのをしてみたい気持ちになってきた。

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