「この人は加害者だ」と判断するのは非常に難しいことのようで、うちの弟のDVなんかは身内からすれば誰の目にも明らかなように見えたし、「来年の今頃には離婚が成立しているだろう」と考えたものなんだが、警察も含めて多くの人は「加害」を認めたがらず、結局十年野放しにされた。ほとんどの人はいじめやパワハラ、DV を経験しているか、少なくとも間近で見ていると思うんだけど、なんかそこに壁がある。人が病む、そして人が亡くなるって重大なことなのに、そうなってなお、判断できない、その壁によって、加害者たちは野放しになる。
あんなんに投票しないために政治に関心持ったようなもん
ちょっと遅いなと思っても政治に興味もつって大事やわ
あそこで無関心装う選択してたらあっち行ってたんじゃないかな って思うとぞっとする
デマでバカを騙してしまえば、白いものも黒となるということが実証されてしまったのは本当に堪える。これから世界はこうした情報操作が行えるやつのおもちゃにされ続けるんだろう
それを見てバカはしたり顔で世の中こういうものなんだ正義も平等も嘘なんだ大人になりなよとか言うんだろ
いや本当にね、声をあげたひとが馬鹿を見るような、声をあげたひとが「嘘を言っているかも」「大袈裟なのでは」と『一考』される環境が肯定されてしまうような、そういう土台が県庁……組織に成立してしまうわけだよな、と私は思ってしまうので、怖い以外の何物でもないです。斉藤さんかわいそう、というのって「加害者である権力構造のトップのひと、責められてかわいそう」という意味ですよね。
大勢がいる場所で誰かが『詰め寄られている』っていう図が『いじめられている劣勢の個人』に見えてしまう、そこに至った背景とかは特に大きく影響せず、場の空気感、雰囲気でそういう判官贔屓の心持ちが湧いて出てきてそれに従ってしまうというか……「かわいそう」という『擁護』の声にはそういう『情』を感じてしまう。
ちょっとテレビショーみも感じます。県政はもとより、同じ職場で働かざるを得ない生身の人間の明日がどうなるか、がかかっていることでもあると思うんだけど、「かわいそう」の印象で「私はこのキャラクターを応援する」へ一点突破できてしまう。他県からも「かわいそうな斎藤氏」個人を応援したいと思わせる。
こういうの、「兵庫県民の選択」としてまとめてしまっていいものでもないと思ってしまう……。
結局、「投票に行こう」というスローガンは、かなり「忠実に」果たされたことになる。>BT
とするならやはり、(Twitterでかなり前から書いてたことだが)「投票率が上がりさえすれば、良識ある我々の望む候補者が必ずや当選するであろう」みたいな謎の確信は単なる幻想に過ぎない、と認めるところからしか何も始まらないのでは……。
銀色の海に熱い波が押し寄せてひざまづく君が見えた