周囲から疎んじられ、舐められている主人公が機会を得て隠された能力を発揮し、やがて世界から認められる…みたいなのを「ルサンチマン系」と名付けて思いっ切り否定したい、という話をしているわけですが。
なぜそんなことを言うかというと、そういう物語は「自分もいつか正当な評価を得て幸せになれる」「自分を正当に評価しない世界は間違っているし、邪悪である」という妄想を人に抱かせると思うわけです。
それは「他人は自分に額ずいて当然である」という有害な男性性の発想と合致しているし、その一致は偶然ではなくて、有害な男性性が物語を産みだし、物語が有害な男性性を煽って負のフィードバックとなって増殖して行った結果そうなってるんだと思います。
でも、実際の人生というのは全然そういうものではないわけです。世間の評価を得られる人なんてわずかだし、そうなったことで幸せになる人もいるけど、そうでない人も多い。
むしろ大事なのは、自分にとっての安らぎと達成のバランスが取れていることで、そうなっていれば、身近でない人から評価されなかろうが、されようがどうでもいいんだと思います。
最近時々思うのは「君たちには、12個ものステップは多すぎるかもしれんね」ということで、すると「ステップ1・2・3の繰り返し」というのも合理性があることにあるわけだ。ああ、あれにはそんな深謀遠慮があったのか。(と、辛抱と遠慮の人であるひいらぎ君は思うのであった)
まじかー
> 日本と違ってドイツではハイデガーはタブーっぽくなっているというのは本当らしく、ドイツ人の研究者や、ドイツ在住研究者と話をすると、この記事で紹介されている状況と同じことを言われる。(この記事の著者はあえてその状況に反対しようとしているが)
アラノンのテキストには、アル中がなぜ自己中なのか、いっぱい書いてある。
「アルコホーリクは行動し、私たちは反応する。酒飲みには誰も何も言うことができない。アルコールは誇張された自信と幸福感を醸成し、酒飲みをすべての答えを持つ小さな神のように振舞わせる。同時に、酒飲みはますます非合理的になる。それに対して、私たちは反論し、より現実的な見方をさせようとする。自分たちが正しいことを証明することが不可欠になる」
Alcoholics act and we react. No one can tell the drinker anything--he or she calls all the shots. Alcohol fosters an exaggerated sense of confidence and well-being, prompting the drinker to act like a little god with all the answers. At the same time the drinker becomes increasingly irrational. In response, we argue...
「ざいんいぶすき」というサイトがまだ稼働していてびっくり。
ホームページのソースを見たら、ホームページビルダーの1998年というタイムスタンプがあった。
指宿竹元病院という内観療法をやっている病院(断酒会と懇意
)の院長?がやっていたサイトだけれど、まだこのサイトが続いているということは、院長現役なのかと思ったら、代替わりしていた。
http://www.synapse.ne.jp/~sein/
12ステップ関係