ACというのは本能的に「自分を超えた存在」を恐怖し、怒り、許さないんだな。
ACを観察し続け3年目で、私もやっとそれに気づいた。
そしてAC本人は気づいてはいないが、自分が頂点に君臨しようとする猛烈な欲求を持っている。
具体的には、ACは「自分を超えた存在」に直面すると、それをなんとか自分の想定内に収めようとあらゆるコントロールをする。
媚をうったり、支配されようとしたり、拒絶したり、やり方はさまざま。
それは神を演じるアル中と同じ自己中心性である。
擬似アル中なのだ。
ACにとって12ステップは「自分を超えた存在」といかにうまく付き合い、受け入れていくかのプロセスになるのだろう。
その「自分を超えた存在」は、ハイヤーパワーだけではない。
社会的評価、地域、生活環境、病気、劣等性、脆弱さ、親、さまざまだ。
周囲から疎んじられ、舐められている主人公が機会を得て隠された能力を発揮し、やがて世界から認められる…みたいなのを「ルサンチマン系」と名付けて思いっ切り否定したい、という話をしているわけですが。
なぜそんなことを言うかというと、そういう物語は「自分もいつか正当な評価を得て幸せになれる」「自分を正当に評価しない世界は間違っているし、邪悪である」という妄想を人に抱かせると思うわけです。
それは「他人は自分に額ずいて当然である」という有害な男性性の発想と合致しているし、その一致は偶然ではなくて、有害な男性性が物語を産みだし、物語が有害な男性性を煽って負のフィードバックとなって増殖して行った結果そうなってるんだと思います。
でも、実際の人生というのは全然そういうものではないわけです。世間の評価を得られる人なんてわずかだし、そうなったことで幸せになる人もいるけど、そうでない人も多い。
むしろ大事なのは、自分にとっての安らぎと達成のバランスが取れていることで、そうなっていれば、身近でない人から評価されなかろうが、されようがどうでもいいんだと思います。
最近時々思うのは「君たちには、12個ものステップは多すぎるかもしれんね」ということで、すると「ステップ1・2・3の繰り返し」というのも合理性があることにあるわけだ。ああ、あれにはそんな深謀遠慮があったのか。(と、辛抱と遠慮の人であるひいらぎ君は思うのであった)
自称BB派(笑)の中にも、AAや12ステップのマメ知識や瑣末な情報はべらべら話せるのに、「なんで酒が止まってるんですか?」という質問には応えられない人がけっこういる。
「神様が私を回復させてくれたんだよ」というシンプルかつ簡潔なメッセージが出てこないで、「12ステップが〜」「ミーティングが〜」などとごちゃごちゃ理屈を言いだしたりする人たちである。
こういう憐れな人は、自分が霊的体験をしていないことを行動で証ししてしまっているのだ。本人が口でどういおうと。
なぜこういうことが起こるのが、ずっと考えていた。
最近になって分かったが、そういう人たちは決定的にステップ12に取り組んでいないという共通点があった。
AAの中だけで回復しようとしているのだ。
こないだのNot-Gotスタディを聞いて、「なるほどな」と思った。
ステップ12に取り組まない人は、効果のある霊的体験・目覚めは得られないのだ。
それはAAでは「ソブラエティ」とは言わず「ドライ」と言われる状態である。
飲んでないだけで、AAの生き方ができてないってこと。
AAの『信じるようになった』という赤い本に収められた体験が、読む人間にとって不可解な印象を与えるのは、そこに書かれた体験が直接体験であり、つまり論理を越えた、本人にしかわからないことを無理矢理言葉にしているからだ。
しかし、その体験を持たない者は、人間の論理(知恵)を越えたものがあるとは想像もつかないから、自分が霊的に目覚めていることを論理的に説明しようとしてしまう・・・。彼らにとっては「証し」とはその証明をする行動なのだwww
QT: https://fedibird.com/@knotting19/112635520287405917 [参照]
まじかー
> 日本と違ってドイツではハイデガーはタブーっぽくなっているというのは本当らしく、ドイツ人の研究者や、ドイツ在住研究者と話をすると、この記事で紹介されている状況と同じことを言われる。(この記事の著者はあえてその状況に反対しようとしているが)
12ステップ関係