「Poor Things」小説の構成は、
①マキャンドルズが書いた人造人間「ベラ・バクスター」の荒唐無稽な伝記(※映画化されたのはココ)
②「ビクトリア・マキャンドルズ」が”①は私のアホな夫のクソみたいな創作です”と現実的な自分の生い立ち&人生を語った手記
③上記2つの文書を発見して出版したという設定の編集者グレイ(作者)が「いやいや俺は①が真実だと思う!」ともっともらしい(がよく読むととんでもないこじつけなこと言ってる)註を加えた部分
という三部構成となっており、①でゴシックファンタジーみたいな物語を読んでほほ~面白~と思ったあと、②でまあそりゃあんなんデタラメよね~なるほどビクトリアの人生を聞くとあの時代の社会主義&フェミニズムについて勉強になるな…と真面目になったあと、③でいかにも学術っぽく事実っぽい註の嵐で①のクソみたいなファンタジーを支持するので「ワッツ…????」ってなるという、頭がぶっとぶローラーコースター読書体験となっています。
#本 #audible
映画がギルティだというのは、
つまり①の部分って結論としてはマキャンドルズのクソみたいな妄想(だということが小説を最後まで読むとわかる)なので、そのクソ部分のみ採用して物語化し、ビクトリア自身の声を消去すること自体が主旨としてはほぼほぼギルティではある。それって小説自体がサタイアの対象としている③の編集者と同じことしてるということになるし。
しかし脚本化した人は当然この小説を読み込んでいるのでそんなことは百も承知であり、でも映画化するなら①の部分だよねーというのもわかる。だって②のビクトリアの社会主義者&フェミニストとしての人生って①ほど物語的に面白くはないし。②の部分を含めて映画化するこって、まあ不可能ではないけど難しいし、その努力に結果が伴うかというのも微妙かと思う。
だから映画が①部分だけなのはすごいわかるし、②というフェミニズムの核心的な部分が消去されたかわりに①の中にその要素を組み込もうとしたのもわかるし、その結果映画は映画で面白くなったのだが、ふつーに小説の主旨を裏切ったというギルティはギルティなので小説のファンとか作者自身(ご存命じゃないけど)からの怒られが発生するリスクも全然ある。という所感です。#本 #audible
そうそう「Poor Things」小説の面白かった表現、
マキャンドルズの創作内で、ベラにマキャンドルズと結婚することを告げられたゴッドウィンがこの世のものとも思えない絶望の叫びをあげるという場面があるんだけど、そこの表現がすごくて、
「…それ(ゴッドウィンの口)はゆっくりと音もなく開き、やがて彼の頭より大きな丸い穴となって、とうとう頭は飲み込まれて見えなくなった。彼の首の上には黒い、拡がりつづける、歯に縁どられた穴がぽっかりと、背後の赤い夕焼け空に浮かんでいた。そこから叫び声がした時、それはまるで空全体が叫んだかのようだった」(適当拙訳)
マキャンドルズは社会に対してはそんなに有用な人間ではなかった(とビクトリアは言ってる)けど、こんな超現実的な表現とか書けるなら創作の才能ちょっとあったんではって気持ちになりました(ビクトリアにはそういうのまったく評価されてなかったっぽいけど)。 #本 #audible
このいかにも文学的かつ荒唐無稽な表現に対して、
まあこの構成から考えると、
そもそも”夫と妻のどちらの語りが本当なのか(ベラは本当に人造人間なのか?)”という問題設定はあんまり意味ないと私は思っており、というのも②でビクトリア自身が自分の人生について「こうです」と言ってる以上そっちを信じるのが妥当であって、しかも内容を考えても①はふつーにあやしくね???というか胎児の脳を移植したとか言ってますよ!!???荒唐無稽なフィクション以外のなんなの????って話で、そんなにも信頼性に差がある2つの語りなのに、なぜか現代の男性の編集者(という設定のキャラクタ)はそれでも男性の語りのほうが信憑性が高いとし、女性の語りのほうは全力で矛盾を探しておとしめようとする…というのが面白ポイントというかサタイアなんだと思いました。
#本 #audible