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前にも同じ趣旨の投稿したことあったんだけど、古くはレアグルーヴとか渋谷系とかポップ・ミュージックを重苦しい歴史の楔から解放しよう、みたいな動きがあって、それが当時はそれなりに心地良かったんですよ。で、ナップスターがきて、Myspaceとかミュージーを挟んで、サブスクの時代になって、もう何も残ってないじゃんっていう。それまでのポップ・ミュージックって鈍重だろうがなんだろうが、やっぱり歴史たろうとしてきた。それはアメリカの黒人音楽を振りかえれば明らかだと思う。アンセムって個人的にはぜんぜん好きじゃないけど、もう今の時代には生まれる余地がないですよね。広く共有されないから。

紙媒体に戻れないのはわかるけど、アーカイブの仕事をサボってるから、みんな「勝手にやります」みたいなことになってるんじゃないかという気もするんだよね。過去の雑誌やCDのライナーノーツも電子化すべきだと思う。でないと、埋もれる一方だよ。

ミュージック・マガジン2023年9月号のヒップホップ特集でドクター・ドレーの『2001』のサウンドを「細マッチョ」と形容したライター、たとえが的確で凄いなと思った。

ヒップホップはトラップ、ドリルからフォンクまで本流から派生したサブジャンルも一応聞いてきたけど、結局ブームバップに戻ってしまう。最近はまたRZAとかピート・ロック聴いてる。絶対こっちのほうがいいと思う。

ジム・ジャームッシュのサントラの選曲は彼の映画よりいいと思う。彼のインタビューを読んでいて、RZAのインストの不協和音にセロニアス・モンクとの共通点を見出だすところとかさすがだなと関心する。

トリッキーはサンプルの選び方が独特で好き。このアルバムじゃないけど、チェット・ベイカーや(デヴィッド・シルヴィアンの)JAPANからもサンプリングしていて意表を突かれたことがある。

個人的には言語も人種もどんどん異種交配が進めばいいと思ってるけど、抵抗のある人のほうが多いんだろうな。

これのことなら相互フォローの人で、かつ自分の投稿の直後だったからですよ。あちらのプライバシーを守りながら喋ってるから、明示していないだけでちゃんと文脈があるんです。(もちろんたまたまということもあり得る)
fedibird.com/@private_eyes/112 [参照]

「こういう人はこう」って自分に当てはまるかどうかのジャッジが難しいでしょ。多少センシティブなな人なら誰もが反応しますよね。楽な全体批判(一般論)に逃げないで、個別具体的に批判して下さいよ。

変な当てこすり止めてもらえないかな。言うなら直接言ってくれる?ちゃんと名指しで、ポイントを明示して。

陰謀論ってのは何?私の言っていることの具体的にどこが陰謀論ないし陰謀論的なの?それならそれでエビデンスを出せとか、ここの論理が飛躍しているぞと指摘すればいいだけじゃない?なんでしないの?

野田努さんがインタビューでよく喋るのはいつもゲットーの黒人だって話をしてた。外部の言説(その多くはクリティックによるもの)に不信感があるからそうなる、と。これと対極にあるのが日本人のマジョリティーです。自分の言いたいことが伝わらないかもしれない、そしてそのことによって自分が不利益を被ることになるかもしれない、という危機感がまるでないんだよね。

私だって別所で「親日派」として、中国語で以下のような嫌みを(エアリプで)言われたりしているわけです。以下引用。

「1450(ネット上で特定の政治的見解を持つとされる人々)の緑脳の海外旅行と日常生活は以下の通りである:

海外旅行は日本にしか行かない。
日本以外のどこにも行ったことがない。
日本は天国であり、なぜ自分が日本人でないのかと思う。
桜が素晴らしく、日本人は優しくて思いやりがあると重度の幻想を抱いている。
よって、非皇民(親日派)である1450は不合格である。」

これに対して、私の立場は「親日/反日」といった平板で単純な二項対立こそディコンストラクトすべきだというものです。特に「反日」をバネにした民族主義には反対です。それに実際そんなことは生活していて意識しないのが普通でしょ。

北守さんの「Xは世論を反映していないから気にしなくても大丈夫」という趣旨の発言、果たしてどこまで本気にしていいものかという感じです。最近でもネットで話す若い人、大体みんなXのバズった投稿から話題を拾ってくるので。世論との間にどの程度乖離があるのか、一度ちゃんと調べてもらいたいものですね。

「和をもって貴しとなす」で思い出したけど、井川意高さんが先日「日本人にネーション・ステートの意識が芽生えたのは聖徳太子から」という新説を披露されていましたね。そこに「さすが井川さん、インテリジェントです」みたいな返信が多数ぶら下がっていたのを見て、いまだXにいる歴史学者は苦労しているんだろうな、と思いました。

あと理屈をひねってみせているようで、結局自分の第一印象の好き・嫌いから一歩も前進していないってケースもよくありますよね。そういう人とは対話もクソもないですね。「なんとなく嫌いだからこの人の言うことは聞かない」のなら、こちらも自分から積極的に話したいとは思わないです。まあそういう幼稚さは日本人に多い印象があります。「和をもって貴しとなす」文化だからかもしれません。ディベートの文化がない。

渦中にいれば誰だってその深刻さに気づくはずなんだけど、実際には黒人のユダヤ人への差別もあれば、中国人の韓国人への差別もある。アラブ人にしても(差別の問題に関して)イノセントというわけではもちろんない。そこで初めて日本人だけの問題じゃないんだって気づく。ある民族が別の民族に一方的にやられてるってことは実際には少ないわけですよ。自分の手の届く範囲で付き合ってみて、両者にとってよりマシな落としどころを探っていくしかないんです。

直接言う勇気がなくても、まずは自分の言いたいことを誤解のないように誰に言ってるのか明示しなければ話が始まらない。たとえエアリプでも誰かを批判したいなら「正確にその指摘があてはまる人」を想定して書かないと意味ないでしょう。Xに溢れる気持ちの悪い中韓嫌悪にしても、あるいはそれへの批判にしても基本的にやってること同じなんですよ。当事者不在。セクシャルマイノリティーに対してもそうですね。当事者そっちのけで、誰も直接言わないですよね。「差別は悪いことだ」というだけで自分で付き合おうとはしない。

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