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誰もが魅了されるポップカルチャーの魅力の一端は若者の性的魅了の商品化とその搾取にこそあるのではないか、という強い疑いがある一方で、ポップカルチャーなんて全部若気の至りでしょ、という諦念もあるんだよね。

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ユースカルチャーは性的魅力とオブセッションに満ちていて概して痛々しいものだけれど、若い人にしかない魅力があるのもたしかなことなんで、ポップカルチャーに携わる若い人たちにはぜひともその若さのエッセンスを絞り尽くしてほしいと思う。

今朝『アンチマン』読んで、Twitter上の批評を見て、ずっと考えてたんですけど、映像メディアっていうか視覚表現においてスマホの扱いって難しくないですか。マイク・ミルズの『カモンカモン』を見たときにも思ったんだけど、映像に関しては、カメラの中にカメラがあると、どうしても入れ子の構造になっちゃうじゃん。視聴者は画面の中に別の画面を見ることになるわけでしょ。仮にこれを「外部」としよう。『アンチマン』の主人公は常にスマホの中のSNSの無数の声、その多声性に常に苛まれている。ここで作者は虚構に侵食された現実が入れ子であることを認めた上で、それを冷笑し「外部」にお前の想像を上回るようなものなんてないんだよ、というメタメッセージをクリシェの使い回しによって表現しようとする。いわくすべてが予定調和的で、既視感のある世界にあって、たとえカメラ=スマホがそこにあっても出口なんかないし、どこにも行けないのだと。漫画は静止画だし比較的操作が楽かもしれないけど、これが映画だったらどうだって話だよ。スマホはもはや小道具ですらなくほぼ誰でも持ってるものだし、かつスマホの台数の分、SNSのアカウントがあるものと考えていいでしょう。とすると、どうだろう。期せずして、ここで「人生は劇場、人はみな役者」が実現しているんじゃないでしょうか。

コーネル・ウェスト、今回の大統領選出馬表明に関しては、人民党の評価も決して一様ではないことはわかるんですけど、それにしてもなぜっていう疑問が拭えません。

」のファンクアルバム。R&Bベースのものから、ジャズ、エレクトロ、デトロイト・テクノ、シカゴ・ハウスまで。

90年代のリスニング・テクノ、DTM環境が大きく変わったおかげで今じゃスカスカに聴こえるものだから、もうそれだけで独特の寂寥感があり、結果的にチルな効果を上げているような気がする。今一番顧みられていない音楽なんじゃないかなという気もするし…

ドラッギー…という括りで言えばブラック・サバスやAC/DCなんかのリフロックもなかなかのものですよね。この間初めて『ハイ・ヴォルテージ』聴いて、あのリフの反復がもたらす高揚感、ちょっとテクノに似ているなと思って。

沈静、覚醒、酩酊、陶酔などの用途で使用可能なものを選んだつもりですが、意図に反して無難な名盤の寄せ集めになったような気もします。

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」のアンビエント/チルアウト/トランス/バレアリックおよびリスニング・テクノ全般…+ドローン/クラウトロック。

画質が粗く見づらかったのでタイトル付きで再掲しておきます。

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結んでほどいて、バラして立て直して、体系化は非体系化の欲求に逆らって、常に不安定で心許ない状況下で細心の注意を払って行われるべきで、そこにきてビヨンセみたいなのは駄目だと思う(笑)

「情報化」には、分散と集中、その両方が必要ですが、ネット時代はとかく前者に比重がかかりがちで、モノとモノとが関連付けられ、体系化されるということが稀少になってきた。個人的に、そこをうまくやっていきたいという気持ちがあるんです。

20世紀よりも前の体系化された音楽というとどうしてもクラシックに偏りがちなんだけど、それらをアクチュアルなものとして生かすには独断と偏見による文脈化、体系化の力が必要になる。この場合、独断と偏見はディシプリンと言い換えても差し支えないと思います。

こういうセレクションって他ジャンルや各時代の諸相(ポップミュージックで言えば各々のシーン)にブリッジしたくなる欲求をどうにも抑えられなくなるんですよね。

」の古楽からクラシック/現代音楽/ポストクラシカルまで、おおよそ14世紀~21世紀の作品。順不同です。

」のUSメジャーヒップホップ。オフィシャルフルアルバムのみ。

Twitterにて なるタグを見つけたので、僕も選んでみた。こんな大変なの、よくやるよね。

ここ数年で人を騙すための技術は飛躍的に発達したと思うけど、ある種の「陰謀論」を見るにつけ物語としてのクオリティーや映像表現としてのクオリティーは逆に下がっている。これってどういうことなのかな。

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