びっくりするほど中身のないことを言っている話者にそれでも多くの共感が集まってしまうのは、(中身がなくても)それなりに多くの人たちの「これを言ってほしかった」という需要を満たしたものだからだろう。だからこの場合、彼が実際に何を言ったかではなくて、話者の想定している読者層とそれを狙うマーケティングの巧拙を見るべきなんだろうな。もたれかかかるだけの共同幻想がまだあるなら、それと抜き差しならない関係にはあるわけだから、批評家の真似事をしている人を「頭が悪い」と切って捨てても、その背後にある膨大な需要について考えないことには何もクリティカルなことを言ったことにはならないという。