小沢健二の『LIFE』のいいところって計算された無防備であったり、計算された突っ込まれやすさであったり、いずれにしろ計算ありきでバチッと決まるタイプのものだったと思うんだけど(ぶりっ子すれすれのあざとさがあった)、中年になってよくもあしくもその計算が狂うようになってしまった感があるんだよね。天然を狙って装って、それがズレてるから、揚げ足を取られるようになってしまったんだと思う。そういう意味では、ネットとの相性も致命的に悪い。悪口言われるようになったのは、決して宇野維正が持ち上げてるからってだけじゃないと思ってる。