『アンチマン』もそうだけど、Twitterに流通させるためにカスタマイズされたような話って最近とみに増えたような気がする。作者としては読まれなきゃ始まらないんだろうし、Twitterでバズを狙うのがことさら悪いことだとも思わないけれど、内容が極端に俗っぽく=ステレオティピカルになるのはいかがなものかとはちょっと思うかな。

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Twitterで見聞きした三面記事をパッチワークで縫い合わせて、舞台装置としてもTwitterを使って、話の主題もTwitter仕様。それをTwitterで発表してバズらないわけがない。で、そうやって流通した結果として無数の批評がTwitter上に生まれ、玉石混淆のそれらが作品の価値を押し上げるっていう構図。

相応の理由で俗受けする「リアリティ」とそうでないリアリティを区別するのも大事なことだけど、最近じゃ不問に付されることが多くなったような気がします。

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