映画『戦雲』感想①
先日、『戦雲』を見てきた。最近映画からは遠ざかっていたけど、フォロワーさんがご覧になっていたのと、この映画に「呼ばれた」気がして。
我ながら呑気で情けない感想だけど、私は何も知らなかったんだなぁ、知らなくて済んでるんだなぁ、と思った。
琉球新報の記事で、本土からミサイルが運び込まれていて、それに住民たちが抗議している、という字面と写真を眺めてはいた。でも、眺めていただけで、それが実際にどういうことなのか、全然想像ができていなかったことがわかった。自分の住んでいる町にミサイルが持ち込まれるって、どんな気持ちだろうか?町ごと狙われるという恐怖。そしていざ戦争になれば自分たちの命は後回しにされるという恐怖。ミサイルの配備が「島民の命を守るため」などではないことが、地元の人たちにはわかっている。
アジア・太平洋戦争で「前線」として差し出され、県民の四分の一が犠牲になり、その悲劇からまだ80年も経っていない沖縄で、また「日本の防衛のためには仕方ない」といって戦争の準備が進められている。これって全く同じことを繰り返しているのでは?
それなのに、小さな島々の人たちは、圧倒的に少ない人数で抵抗しなくてはならない。ただ自分の島に住んでいるだけなのに、ずっと選択を迫られ続け、分断されていく理不尽さ。
映画『戦雲』感想③
翻って、本土に住んでいる私は、最近、次々と嫌がらせのように出てくる人権無視の法案とか、それに声を上げる人に対する冷笑や誹謗中傷とかに、心底うんざりしていた。でも、沖縄の人たちは、この踏み躙られるような気持ちを、ずっと味わってきたんじゃないか。
この映画は、苦しい。希望を託され立ち上がった若者たちの署名活動は、あっけなく議会に潰され、ミサイルを積んだ車輌は抗議活動もむなしく白昼堂々、市街地を我が物顔で突っ切る。とても苦しいけど、島々の強い人たちは、笑うこと、生活すること、隣人とともに生きていること、次の世代に手渡すことを忘れずに、何世代にもわたって考え続け、行動し続けている。「疲れ切るのを待っている」大いなる力に抵抗するために。まだ戦場になっていないうちは、人が死んでいないうちは、「諦める理由がないから」と、諦めずに闘っている。だから、諦めないうちは負けないんだと、負けないためには諦めちゃいけないんだと、私自身も思える。苦しいけど、元気をもらえる映画でもあった。見ることができて本当によかった。