apple
アートや表現としての破壊とサステナビリティって、研究とかで、どういうふうに語られてるのか気になってきた。
破壊ではなく、単純にサステナビリティを意識した/発信するアートは何度か記事を読んだり見たりしたことあると思う。
なので結構あるテーマだよね?
サステナビリティではなく、社会通念とアートの話はよくあると思うし(商業的に成功してる某アーティストが武装論理してやれみたいなこと言ってたような)
日本語圏SNSって、こういう話題のとき、破壊=良くないとか、ルール守れとか、騒ぐなみたいな方向性と親和性が高いと思うけど、そうではなくて…。
これを例に出すのはずるいけど。
有名なリドスコのappleCM(1984)では、ハンマーでスクリーン打ち砕く演出だけど、こういうのは、全然何かを物理的に破壊してるというところが主じゃない。
1984パロだと言われなくても分かるし、スクリーンに映る映像も群衆も、概念として、何を破壊するものなのかというのを明確に示していて分かりやすい。
古いものを打ち砕く演出というのはよくあると思う。
すべてがiPadに凝縮されてる演出だというのは理解できるんだけど、なんかそこよりも、ただものが破壊されてるという印象受けたのはなんなんだろうね😂
いろんな反応があるのも興味深い。