「これからも全国に発信する機会も大切にしたいと思っております。このような機会を与えていただいて、ほんとうにありがたいです」
このタイミングで大きなものを背負いながら、慎重に言葉を選んで淡々と伝えようとつとめるラジオ福島の山地アナウンサーの一言一言に、グッときてしまいました。
科学的に安全なのはいいけれど、政府や東電は、そこにいる一人ひとりの人の姿が見えているのか?寄りそう気持ちがあるのかと思っています。
https://podcasts.apple.com/jp/podcast/tbsラジオ-荻上チキ-session/id1532201544?i=1000625649961
徒然なるままに2
映像研の作者の大童先生のツイート、大童さんは「洗ってあれば平気です」といってますが、僕は「洗ってあってもできれば飲みたくないけど、必要があれば躊躇なく飲みます」
他に手段がないのなら海洋放出も認めるけど、まだしばらく保管の余地があるなら、海洋放出を急ぐべきではなかったと思う。
処理水の海で獲れた魚と他所の海で獲れた魚なら他所の海の魚を選びたいけど、福島の魚が売られていたら敢えてそれを選びます。そちら側の人間でいたいから。
たぶんお金はかかるけどまだしばらく処理水を保管する余地はあったけど、自分たちのお金がもったいないから海洋放出を急いだんですよね。それで節約されたお金は政府や東電のものだけど、海洋放出しないで余計にかかるお金は電気代に上乗せされたり税金からまかなわれたりして国民のお金なんだろうから悩ましいところ。
こんな日なので徒然なるままに。
究極的には科学は正しいのでしょうが、不完全な人間の振りかざす「科学的正しさ」の正しさは「正しさ(仮)」に過ぎないし、政府や東電のいう「科学的正しさ」は、「金や権力への欲望と自己保身」の言いかえにすぎないし、処理水の海洋放出に賛成する諸外国の政府のいう「科学的正しさ」は、「政治的な打算」ですよね。
そしてそんな「科学的正しさ」がたびたび「誤り」であったことの象徴が、現在の福島第一原発なわけで。