で推し活論文がリポストされて目にかかったけど
そもそも「推し」や「推し活」に対する思い、スタンス、熱量、考え方、価値観とかすべて人それぞれなので、なんでそんなに堂々と統合化にできるんだ?
生きる理由や希望を失ってしまってから推しと出会えてそこで生き延びろうとする人
戦争やジェノサイドに巻き込まれて推しの存在が状況を耐えられる逃げようとすることができる人
推しに導かれて自分の道を切り開けた人
推しのおかげで今日の自分がいる人
単純に歌やダンスや演技が好きで応援している人
見た目と振る舞いが好きで応援している人
リアコな人
推しを全肯定する人
数え切れないほど「推す」ことには様々は形があって、「正しい」や「間違い」がないし上下関係もない。(もちろんストーカーなどの害がある行為は間違っています。)
そこのバランスをとるのは、主に運営とマネジメントの責任だと思っている。
とはいえ、市場の傾向や流行りというものもあって、やっぱりビジネス出金銭的な都合が優先されがちで、バランスをとることも難しいともわかっている。
そこで応援する側はどうのように推すか、そもそも推し続けるのかを決めるのも当たり前。
第三者が全部わかっているように偉そうに口を出すものではない。