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不安になってきたので、やっぱり芸術特に日本画の方に明るい人の評価もちゃんと読みたい。芸術プロパーの人たちは一連の作品をどう捉えているのだろう?

基本的には日本画の期待の星、みたいな評価っぽいんだけど、本当に今回のような女性表象の視点がないのだとしたら(※)、個人ではなくて業界の構造的な問題ということになってしまうのでは。
(※)そういう問題意識をもった人も芸術業界にチラホラいるようで(やはり女性が多い?)、よく業界の男性中心性を批判されている

いまTwitterで起きてる(これから起こりそうな)批判(炎上?)の感じだと、まあ美術館のスタッフは対応を迫られるだろうけど、
業界の人の中には「名作からの引用とか高度な技術とか、そうした深い意図もわからんやつが、パッと見て適当に言ってるだけだ」みたいな方向に捉える人もいそうだし(たぶん男性)、最終的には「とりあえず謝って取り下げて声をひそめよう、ああ最近は息苦しいなー」で収まってしまいそう。
そうでなくて、上記のような構造的なところまでリーチする必要があるのではなかろうか。

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Twitter()で瀧波ユカリさんが批判していた田中武氏という画家および「十六恥漢図」シリーズ(彼の”ライフワーク”らしい)について少し投稿したのだけど、そのあと眠れなくて、2013年くらいからの制作当時の?ブログも流れてきたので遡って読んでしまった。
takeshitanaka.jugem.jp/
(ツイート:twitter.com/gopen90235451/stat

過去の作品からの引用とか技法とか、原発とかについての話はチラホラあるので、理性的に考えたり社会へのアンテナは立ってたりしてそうな方なんだけど、根本的な「なんでその作品で女性を描くのか」がやっぱりどこにも言語化されてなくて、そこだけアンテナが立ってないのはむしろけっこう根深いのでは…と思ってしまった。
言語化するまでもない発想からきてるのかなあ。

それで、パトロンみたいなお爺さんが「醜いのがいい」と褒めてる、みたいな構図(後述)。
女性の観客はそもそも想定してないのかな、しかも意図的ではなくてほんとに無意識に除外してるのかな、と思われても仕方ないような印象を抱いてしまう。

そもそも芸術における美人画の意義とかも、歴史等の観点からしっかり理解したくなってきた。
(それこそいま京都文博で「少女たち」って展覧会やってるのよね)

「瑕疵」の部分についてはこの記事を読みました。言われてみればたしかに、という感じ。完璧というのはなかなかむずかしい…

cinra.net/article/202308-barbi

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・遅ればせながらバービー観賞。様々なキャラ属性を自らのアイデンティティそのものにしがちな人(自己紹介欄でわかる)に、その全てを取り外すよう促す話、といえそう。
 見方によれば所々瑕疵もあるようだけど、昔からある=時代遅れになりがちな題材でありながら、しっかり現代の問題意識に向き合っている点でいい脚本と思いました。
 
 ありがちなキスを拒むシーンを見た後では、今までの映画の「一件落着→チュ」の定番パターンを何で今まで当然視してたのか、そっちがむしろ変に思える😂。
 諸説ある?ラストの解釈については自分のボキャブラリー不足のため一瞬戸惑ったけど、後から確認して納得。obstetricianではなくgynecologistなのね。他にもpatriarchyとか、色々と勉強になった(男社会、と誤訳なのは残念)。
 
 これは別に作品主旨に反してないと思うけど、無いものねだりで欲を言えば、ライフステージ(not年齢)についてももっと多様な姿のバービーやケンを見てみたかったかも。子供向けの人形という宿命上難しいけれど、例えば壮年期以降をどうリプレゼントするのか、とかも見てみたい気がする。

wwws.warnerbros.co.jp/barbie/

まだ1回みただけだけど、個人的に「君たちはどう生きるか」の主題歌はあんまり雰囲気に合ってないように思ってしまった。自分だけかな?

例えば「風立ちぬ」主題歌のユーミンの「空にあこがれて」なんかは予告編だけで涙が出てくるような溶け込み具合で、他にもジブリの主題歌の多くは名曲だと思う。

ジブリ以外も、例えば「怪物」(坂本龍一の”aqua”)とかはすごく合っていたし、「すずめの戸締まり」の歌(女声の方)も雰囲気があった。主題歌(メインテーマ)と作品のマッチング具合だけなら「君たちは〜」より良いとすら感じてしまう。

米津さんのはなんで微妙な印象なんだろう。まあ感想は人それぞれなんだけど、ウルトラマンの時とあまり違いを感じなかったからかな。。

とはいえ宮﨑監督が米津さんをしっかり信頼しているようなのをいろんなところから仄聞すると、自分の印象の方がむしろ間違ってるというか古い?のかなーとも思える。そのうち2度めを観に行くのでその時はまた感想も変わるかな。

定期的に起こる、やむを得ず(?)出産してしまった女性(だけ)が実名報道で逮捕されてしまう事件。
どこかのメディアかジャーナリストが丹念に事件を追跡取材して、相手の男性までたどり着いてインタビューまで取ってくるみたいな、そういう報道って今までただの一度もないんだろうか?
問題意識は社会の中で十分に醸成されてる気もするし、(書く側からしても)そういう記事があったら多く読まれそうに思うんだけど。せめてその辺から事態の打開が見出せないものだろうか。

ポケットモンスター やんごとない/よんどころない

爆発したような両肩の筋肉痛が全身から精神まで波及して、要するに全くやる気がでない。これいつ治るんやろな

otro さんがブースト

SNSで心ない言動をしているのが目に入ってきて、発言者が一定年齢を超えた社会人だともはや何の感慨もわかないけれど、それが若い人たちだと気が滅入ってしまうことがある。高校生、浪人生、専門学校生、大学生、その辺の世代。

冷笑的態度がはびこる今の時代の中高生、たとえば彼らに刺さるようなビルドゥングスロマン(少年少女などの主人公の人間的成長を描く物語)って、どんなのがありうるだろう。

雑な現状認識だけど、一国の少子化という問題より世界の気候変動の問題の方が影響がはやかったと言えそうね。そうでもないかな?
もう少し長いスパンで見たらほぼ同時かもしれないけど、順序的に逆はなさそう。

「理性的」と「合理的」の違いはけっこう難しいらしい。検索したらこんなのが出てきた。

「合理的と理性的」
jstage.jst.go.jp/article/safet

あと、「論理的」と「理屈っぽい」も違うらしい。客観的にも筋道が立ってるか、自己満足的な”マイ論理”を展開してるだけか(「っぽい」の含意ね)、みたいな感じ?
note.com/sudatakashi/n/n3fe880

ここまでくるとめんどくさいのでこの話はおしまい。

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「男性は論理的~」みたいな旧時代の主張があっちのTLに流れてきたけど、本筋とは違うところで、主張への賛否問わず大勢が「論理的」と「理論的」と「理性的」を混同してるのが気になってしまった。

英語だとそれぞれlogical/theoretical/reasonableで全部違う意味のはず。
(訂正:理性的はreasonableが近いみたい。訂正前のrationalの日本語訳は「合理的」の方が近いらしい)

対義語もこんな感じ(諸説あり)。
論理⇔直感
理論⇔実践(応用)
理性⇔感情(感性)

さて、元の主張だと男性はどれだってことになるんだろう。たぶん「ロジカルシンキング」的な意味で「男性は論理的だ」と言いたいのかな。もちろん実態としてはどれでもないんだけども…。

意味の違いは多分こんな感じ。
論理的➢筋道をたてて考えられるさま
理性的➢本能や感情に流されず道理を踏まえて冷静に対処するさま
理論的➢理論(体系だった理屈のまとまり?)に基づくさま

理論的、というのは実際に何らかの理論を使って考える(例:「ミキオ・ダテ氏によるゼロカロリー理論によれば…」)というわりと具体的な意味だと思うので、誰かの特徴を表す場面では使わない気がする。なので「男性は理論的」というのがいちばん変な感じ。

別件。

事務所設立➢犯罪 ではなくて犯罪➢事務所設立 なのね。

「事務所を経営しているうちに…」とかいった経緯ではなく、もはやそうした企みの下に人を集めるために設立したようなものでは。

ここの時系列の転倒が一連の話でいちばん衝撃的かも…

あと、マストドンで文章の一部を隠す設定にした投稿をしたとき、後からツリーをつなげたり引用したりすると表示がめんどくさくなるね。なんか工夫すればできるのかもしらんけど。

今朝コメントした批評家の先生、お昼にみたらよくわからない別件??でアカウントを削除されたみたいだ。

関係ないと思うけど寝覚めはわるいな

忘れないうちにちょっとだけメモ。 

ジブリの「君たち~」を観た人たちの中で、メタファーの正解を当てようとするみたいな感想合戦・批評合戦みたいなことになってる様子。

そんな様子を聞いて、むかしTwitterで見た、小津安二郎が専門でわりと断定的な(?)解釈で批評をする人のことを思い出した。彼は「君たち~」関連でどんなことを書いているかな?と調べてみたけど、少なくとも今はまとまった文章を書いてないみたい。

代わりに見つけたのが是枝監督の「怪物」の批評?みたいな文章だったんだけど、ちょっとな…という感じ。「怪物」は当事者性みたいなところで色々な指摘があったのを読んでたので、「みんなでがんばろう」みたいな優等生的なフワッとしたものに見えてしまった。

とりあえず、読み比べ用に2つの記事(どちらもネタバレあり)のリンクを貼っておく。特にエンディングの解釈をめぐる議論などの解像度が全然ちがう。

1)hitocinema.mainichi.jp/article

2)cinra.net/article/202306-kaibu

他人のことをどうこう言うのは憚られるんだけど(Twitterでは基本やらない)、この人はずっと、社会派映画とかに対してもこんな感じでやっていくのかなあ、とモヤモヤしたって話。

批評って結局なんなん?

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