(長文)
 早い時期からトランスジェンダー(特にFT 系)のエスノグラフィーを手がけてきた研究者の鶴田幸恵さんが、新たにnoteを始め、カナダに移住した経緯やご自分の背景を語り始めたことを知った。
 非常に複雑なアイデンティティを持ちながらそれを抑圧し/させられてきたようだが、なぜそれだけの苦労をしてきたはずの人が、かつて私のことを「性同一性障害の吉野靫」と学会レジメや論文で記述できたのか、それは何年経っても引っ掛かっているし、当時は十分に傷ついたし、どうしても解せない。
 そもそも私は「自分にとって性同一性障害は便宜的なもの」と公言していたのだし、「性同一性障害の診断を受けたことを明らかにしている吉野靫」と、「性同一性障害の吉野靫」が全くの別物であることくらい、明確にわかっていただろうに。そして正規医療で事故に遭い、裁判で被告から「壊死は原告が術後に不適切な生活をしたせい」と主張され、古参の当事者から激烈にバッシングされた私にとって「性同一性障害」の語がどういう意味を持つかくらい、簡単に推し量ることができたろうに。
(続)

(承前)
 あのとき鶴田さんは既に専任で私はただの院生であり、明石書店の本に収録されてしまったその記述についてわざわざ編集部に連絡をとり、先方の見解も聞いたのだが、「トランスと性同一性障害の使われ方は過渡期にある」というような、釈然としない弁明しか返ってこなかった。当時非常に重い鬱であった私は、やりとりを継続することができなかった。
 鶴田さんが「正規医療」側の医師と診察を参与観察できるような関係まで築いており、「ひどい裁判だったらしい」「手術にリスクはつきもの」と傍聴にも来ずブログに記述するような「大御所」と懇意な状況にあると知っていた私が、あれ以上なにをすることができたろうか?

 あのときは自分も苦しかった、ということで済まされるのであれば、それは研究者としても人間としても誠実な態度とは言えないだろう。自分は新天地に逃げられても、過去の言動はここに残されている。そういうキャラクタとして日本での研究者を演じたならば、最後のセリフまで述べてから舞台を降りてほしい。

はじめまして。トランスの当事者の音無といいます。

鶴田さんの論文はトランスのエスノグラフィの点で優れたものではありましたが、「トランスジェンダー」「性同一性障害」などといった「当事者の言葉」の扱い方の雑さが気になっていました。

吉野さんとの間にそのようなことがあったとは知りませんでした。

当該noteを読みましたが、日本のヘイトに直面している「同胞」らにたいして、カナダという安全圏から何かを語り掛けるという所にも、自身の特権性に無自覚な様子が見られます。

特権性やスティグマということを考えられるはずであるのに……

酷く残念です。


 音無さん、コメントありがとうございます。私は昔から氏の調査が苦手ではあったのですが(FTMの過剰な「男らしい仕草」を話し手と一緒に笑う描写など)、明確な名乗りがある当事者の扱いについては本当に問題があると思います。調査者が(実質話していることがほとんど同じだな)と思っても、ノンバイナリと無性とXジェンダーの当事者を、同じアイデンティティとしてまとめてはいけないわけで。
 noteのテンションも、己の無謬性を前提に書かれているような印象を受けてかなり苦痛でした。私は「みんなも大丈夫だよ」とか「生き延びようね」みたいな位置からは決して話せないですね。過去の投稿を見ていただければわかるように、責任の持てる個としての「提案」にとどめるようにしています(というか、自然とそうなります)。

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わたしは一教育者(高校教員をしています、ヘイトに苦しんで病気休職中ですが……)として、自分が無謬であるなどとは消して思えないです。誰もが誤りを犯し、教育者はそれに向き合う責任があると思うからです。
そして気休めのことばも、当事者に向けては決して言えないです。
しないのではなく、当事者の置かれている状況を考えれば、同じように当事者であったとしても、その人の言葉を奪うことは「できない」のです。

その点で、鶴田さんとは立ち位置が大きく違うのだなと感じました。
鶴田さんは当事者の言葉を奪っているようにわたしからは見えます。

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