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し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

以前に読んだ本の抜粋。

「テロを最たるものとする暴力は、ソーシャルメディアの時代には直ちに視覚化され、リアルタイムで見ることができる。他の場所で引き起こされた暴力は、かつてよりも一層身近に感じることが可能になり、その結果、人々は暴力を広く間接的に経験するようになった。しかし、暴力を直接的に経験する機会は、歴史上例を見ないほど少なくなった。私たちが暴力に直面する可能性は過去百年の中で最も低いのである。…人は間接的に見聞きすることに最も恐れを抱く。」

(出典)デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方』白水社、pp.87-88。

英国政治みてたら、そもそも「政治のニュース」ってそんなに多くないわけで、例えば記者が必要以上に「いつ解散するのか。」という情報を非公式に求めすぎることが、反射的に首相の解散権を強く見せてるんだろなと思う。

法を破れとは言わないが、もう少し政治家側も公式な場でちゃんとものを説明すべきだし、記者もあんまり政治家にべたべた裏事情を聞きにったりするべきでない、そういう意味でもっと距離を取るべきだろうと思う。

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もう一つの文章は、2019年にフジテレビに入社した政治記者のインタビュー記事。ツイッターで少し話題になったので、覚えている人もいるかもしれない。

「Q. 報道の部署にいる中で心がけていることや、大変なことはありますか?

A.大変なことは、取材先との距離の取り方でしょうか…。記者である以上、視聴者に届けるための情報を取ってこなければいけない、引き出さなければいけない。でもいきなり教えてくれるわけもなく、一方的な取材は失礼だし…試行錯誤の毎日です。こちらの都合で取材対象者の方にお話を伺うこともありますが、向こうも忙しいよな、向こうの都合もあるのに申し訳ない…と思ってしまいます。なので、私が取材先の立場だったら「嫌」と感じることはしないようにしています。相手が心地いいと思える距離で、相手の心に寄り添い、信頼されるような記者とは、と客観的に考えながら行動しています。」(出典)jj-jj.net/lifestyle/151688/

同じ職業に関する記述とは思えないほどの違い。前者のマッチョさは現代ではやはり受けないだろうし、いまの若い人からは後者のスタイルが好まれるのはわかる。

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し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

大学の授業で紹介している二つの文章。一つは1970年代に共同通信に入社し、その後にフリーライターになった魚住昭のもの。

「そもそも無断録音がすべていけないなんて誰が決めたのか。取材倫理?馬鹿を言ってはいけない。我々が守るべき原則は二つしかない。読者にとって必要不可欠な情報を提供すること、つまり真実を明らかにすることとニュースソースの秘匿である。

この二つに照らして記者の行為は正当かどうか判断される。真実を伝えるためなら時には社内規則どころか法律だって破る。ニュースソース秘匿のためなら刑務所入りも辞さない。その気概がなければ記者とはいえない。

つまりジャーナリズムは本質的にアウトローな商売なのだ。それを忘れて「無断録音はやめましょう」とか「お行儀よくしましょう」といった小学校レベルの規則を新聞が作ったりするか政治家になめられるのである。

…朝日よ、NHKよ、いやすべての記者たちよ、思い出せ。俺たちゃもともとヤクザなんだということを。」(魚住昭(2006)『国家とメディア 事件の真相に迫る』ちくま文庫、pp.28-29)。

数年前、朝日新聞が記事要約AIみたいなのを公開してて、結構精度がよかったのを思い出した。Twitterとかの文字数制限があるメディアに投稿できるよう、指定された文字数で要約するみたいな。

し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

先日、この件で取材を受けたので、24時間有効の無料で読めるURLを発行しました。ぼくが話した内容よりも、コメント欄の米重克洋さんの発言のほうが読み応えがありますね...

ちなみに、上の記事には出てこないんですが、記事を直接書かせないにしても、AIを活用する必要はあるだろうし、世界的にもそういう方向に向かっているんじゃないか、という話はしました。

digital.asahi.com/articles/ASR

Macの製品は嫌いじゃないけど、Mac信者が嫌いみたいなのは結構ある。これが色んな分野に広がってるんだろうなとか思う。

し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

「ある政策について、自分が賛成だからではなく、嫌いな党派が反対しているから賛成する」、もしくは「自分が反対だからではなく、嫌いな党派が賛成しているから反対する」という態度を否定的党派性というが、インボイス関連だとそれがしばしば観察できる。選択的夫婦別姓にも似たものを感じる。

結局、嫌いな党派があまりに嫌いすぎて、ある種、怪物化してしまう。「こんなモンスターに同調すれば大変なことになってしまう」という不安が、それと対立する党派の言うことに思うところはあっても「まだマシ」という判断になる。米国の民主党支持者と共和党支持者についてよく指摘される状況。

たいっつ〜の政治云々、なんで炎上してるのかと思ったが、炎上したからブログの説明文書き換えたんか。そういうときは両論併記すればよかったのにねぇ。

研究者の「批判」と政治上の「批判」と政治を報じる報道状の「批判」と一般用語でいう「批判」はだいぶ違うはずなんだが、SNSの時代はカスみたいな混合があって良くない。

し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

研究者が別の研究者を批判するというときに、「○○を糾弾する!」みたいなアビジラ的方法をとることはまずなくて、「○○の仮説は検証されなかった」「○○とは別の解釈がありうる」等々の言い方になるし、そもそもタイトルにもなってもないので、論文の内容をちゃんと読まないと批判していることが分からない。

でも、もっと根本的な「批判」もあって、それが最初から言及しないというやり方。あまりにも与太話である場合、先行研究としてすら言及しない。論壇誌などで暴れている人をみると、近寄りたくないというのが正直なところになる。

先行研究のレビューもまともにしないような人の文章なんて、批判的な言及ですらしたくないというのが正直なところで(批判というのは批判に値する人物に対して行うものだ)、触らぬ神に祟りなしということになる。論壇プロレスなんかに関わるのは時間の無駄だと思う人が多いだろうし。

ツイッターなんかだと、そういうのが「自浄作用のなさ」と言われるのだろうけれども。

昔、宮台真司とかいう人がいて、昔は社会学者として有名だったらしいが、もう自分たち世代だと「昔の人」だと思ってて詳しくは知らない(援助交際を称賛してて、援交ギャルと結婚したけど離婚して、そのあと大学教授の娘と結婚したとかいう異常者だと理解してた)が、最近またネットで出てきて書き込みを見るに「あ、文化人って今でいうTwitterのクソα学者みたいなもんか。」と思ってしまった。

昔は文化人という言い回しもあったなぁ。

し ゃ け .jp@fedibird さんがブースト

かつての「知識人」とは違って、専門家や研究者というのは自分の分野については詳しいが、それ以外のことについては素人以下だ思っておいたほうがよい。でも、まれに知識人的にふるまってしまう人がいて、そのことが反発や嘲りを呼ぶのではないかと思う。

特にソーシャルメディアにはいろんな分野の専門家がいて、普段はふざけていても、専門的なトピックになると地金を出してきたりするので、怖いところではある。

今朝、たまたまめざまし8で2歳の幼児が祖母に保育園に送ってもらうはずが車内に放置されて死亡した話をやってた。元大阪市長の橋下徹が「保育園の人手不足は違う。チェックリストやマニュアルに不備があったから人手不足とは関係がない。役所にいた時はこうやってきた。」みたいなことを言ってたが、マニュアルとかチェックリストを適切に運用するためには、職場にそれなりの余裕がないとできないんだよなぁ。

国会議員の国会質問に関する受託収賄、英国だとよく質問を金で買うとかいう不正がある。もう10年前くらいだけど、タブロイド新聞記者が議員に電話して金払うから英国議会で質問してくれと釣りの電話をしたら「金もらったらいくらでも質問するわ」と自信満々に発言して、当然録音されてて結局辞職したはず。

新型コロナウイルス禍初期、「PCR検査を無料化しろという主張は科学的には無意味。そう主張する人間は安心を得たいだけだ。」みたいな主張が流行ったのを思い出した。でも、科学が安心を得るために存在して何が悪いのかと思う。
しかも、実際にある程度新型コロナウイルスという脅威は存在してるわけで、無料化は全く滑稽な主張ではなかった。

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