国会議員の国会質問に関する受託収賄、英国だとよく質問を金で買うとかいう不正がある。もう10年前くらいだけど、タブロイド新聞記者が議員に電話して金払うから英国議会で質問してくれと釣りの電話をしたら「金もらったらいくらでも質問するわ」と自信満々に発言して、当然録音されてて結局辞職したはず。
しかし、事件の当初はそれに関わっていなかったクラインの立場からみると、その事件は非常に些細なもので、報道されなければ話題にもならなかったはずの出来事だった。にもかかわらず、ニュースになったのはなぜか。
一つにはソーシャルメディアがその話題でもちきりになったからだ。それがニュースとしての価値を生んだ。ではなぜ、ソーシャルメディアでは盛り上がったのか?
それはトランプ支持であることを示す帽子(MAGAハット)をかぶったキリスト教徒の高校生と、高齢のネイティブ・アメリカンという政治アイデンティティの対立だったからだ。
この例に示されるように、アイデンティティを呼び覚ます出来事に人びとの関心は向く。
それをもっとも理解し、うまく利用するのが、まさしくトランプである。アテンションをめぐってメディアが競い合うなか、彼はアイデンティティを武器として使い、衆目を集めるのにきわめて長けている。
Ezra KleinのWhy We’re Polarizedの続き。
メディアがどの出来事を報道し、どれを報道しないのかを「ニュースとしての価値(newsworthiness)」に従って決めるという。ところが実際には、その基準がはっきりとあるわけではない。そのため、「他のメディアが報じているから、ウチも報じる」ということが頻繁に起き、場合によっては多くのメディアが非常に些末な出来事を追いかけることにもなる。
あるとき、筆者のクラインが休暇から戻ってくると、政治系メディアが大騒ぎになっていたことがあった。一人の保守的な高校生がネイティブ・アメリカンのパフォーマンスを妨害したという出来事を一生懸命に追いかけていたのだ。
その高校生自身も対立する集団から嫌がらせされたということで事態はさらにエキサイトし、トランプ大統領(当時)もツイッターで参戦していた。
「政治を追いかけている人びとのほとんどは、それを趣味としてやっている。つまり、スポーツやバンドを追いかけているのと変わらないのだ。われわれはユーザーが義務感からニュースを読むとは期待できない。われわれは彼ら、彼女らのアテンションをめぐって文字通り、あらゆるものと競わねばならないのだ」(p.140)
ユーザーの可処分時間の奪い合いになっている状況では、メディア間のライバル関係も変わる。ネットフリックスのCEOは以前、同社の最大の競争相手は睡眠時間だと述べたのだという。それが現代の政治ジャーナリズムが置かれている状況であり、かつてのいかなる時点と比べても、より多くの選択肢をもっているオーディエンスの時間をめぐる全面戦争を戦っているのだという。
いま読んでいるWhy We're Polarizedのメモ。著者であるEzra KleinはオンラインメディアVoxを立ち上げた人なんだけれども、それに関する記述。
政治的なニュースも扱うVoxの立ち上げに際して、そのライバルになるメディアは何か。普通に考えれば、アトランティックやワシントンポストのような他の政治系メディアがライバルになると思われる。ところが、実際にはそうではない。
なぜなら、他の政治系メディアで政治に関心をもつようになったユーザーは、おそらくVoxも読みにやってくるからだ。ところが、娯楽色の強いメディアのせいでユーザーが政治への興味を失えば、その人は政治のニュースを読みにVoxには来ない。
「道徳的な怒り」を生じさせる投稿はソーシャルメディアでバズりやすいと言われてきたが、なかでも対立している集団に対する怒りを生じさせる投稿はさらにバズりやすいということを示した研究。
ソーシャルメディア上ではしょっちゅう対立する党派間での対立が起きているわけだが、興味深いのは、そういう対立が集団内での団結ではなく、対立している集団への反発によってもたらされているように思われる点(否定的党派性)。つまり、味方が好きというよりも敵が嫌いということ。
ここから敷衍すると、味方が好きなんじゃなくて敵が嫌いという理由で結びついている集団の場合、味方のなかで足を引っ張りそうな人が出てきたら簡単に切り捨てるということにもなりそう。